真夏の誘惑



女性というのは基本的にガードが堅いようでいて緩いと思う。
少しでも指が触れようものならセクハラだの痴漢だの騒ぐ癖に、襟元からブラジャーが見えていようが服から透けていようがお構いなしに見える。あるいは見せているのか。
よくは分からないが襟首が開いたシャツに至っては谷間が見えている人だっているし、最悪完全に見えている人もいる。
実際男からしてみればそんなもの“見てください”と言っているようなものだ。
しかしもし女性にそれを知られれば、確実にブーイングの嵐が襲ってくる。全く持って言ってることと着ている服が見合わないのだから、女性とは不可解な生き物だ。
とはいえ俺もそんな不可解極まりない女性であり同級生である彼女、春野サクラの部屋に来ていた。

「はあ〜。やっぱりクーラーって最高よねぇ〜」

だらりと上体を後ろにそらし、制服の首元のボタンを開けた彼女の一言にため息を零す。

「…前、開けすぎじゃないのか?」

現在の気候は梅雨。
とはいえ毎日が雨ではなく、夏本番かと疑いたくなるほど日和のいい日もある。因みに今日は絶好の洗濯日和だ。洗濯ものだけでなく布団や毛布もよく乾くだろう。

「だって〜…暑いんだもん」

暑いのは誰だって一緒だ。俺だって暑い。
しかしサクラは暑い暑いとオウムのように繰り返し、終いには団扇まで取り出した。

「はー涼しい〜」

軒下に下げている風鈴が涼しげな音を立てる。外でも風が吹いているらしい。
なのに俺は目の前で繰り広げられる無防備な仕草のオンパレードに熱が上りっぱなしだった。

「あ、そうだ。飲み物とってくるね。麦茶でいい?」
「ああ…頼む」

ちょっと待っててね。と告げた彼女が軽快な音を立てて階段を下りていく。
誰もいなくなった彼女の部屋で、俺はようやく一息ついた。

(危なかった…)

今日俺達は秋に開催される学際と体育祭の話し合いがあった。学級委員なのだから仕方ないのだが、休み時間を潰しての会議は骨が折れる。とはいえなってしまったものはしょうがない。
うちの学校は必ず各クラスから男女一名ずつ学級委員を選ばなければならない。立候補では決まらないため毎回クラス投票になるのだが、案の定俺たちが選ばれてしまった。

そもそも俺とサクラが知り合ったのは去年の学級委員長会議の時である。その時からお互い学級委員を務めていたので、クラスは違えど顔を合わせることは多々あった。
初めは他クラスの女子達と話していた彼女ではあるが、去年の体育祭で同じ係りになった際に親睦を深めた。
好きな作家が同じだったのだ。
他にも休日は図書館で勉強をしたり、動植物が好きだったりと似通っている部分が多かったためよく話すようになった。

そんなわけで今年同じクラスになった俺たちは共に学級委員に選ばれ、今年も去年と同じように会議に参加し、それらをまとめてクラスに連絡しなければいけなかった。
そのため学校帰り、冷房のないクラスで話をするのは嫌だと言われたのでこうして彼女の家に足を運ぶことになったのだ。
断言しておくがこれは単に彼女の家が学校から近かったためであり、決して疾しい心があったからではない。断じてだ。
とは言ったものの俺も男だ。それなりに好意を抱いている女性の部屋に来て何も思わないはずがない。
俺には姉が一人いるが、姉の部屋とは比べ物にならないほど女の子らしい部屋に内心どぎまぎしていた。

(…サクラの匂いがする…)

言葉にしてみれば随分と変態臭いがしょうがない。姉以外の女性の部屋なんて入ったことがないのだ。緊張したり、余計なことを考えてしまうのは男の性だと思ってほしい。
しかし意識すればするほど体は緊張で堅くなるし、クーラーが聞いているというのに汗が滲んでしょうがない。
これでは冷房の意味もないなと下敷きで扇いでいれば、廊下から軽快な足音が聞こえてきた。

「おまたせ」
「いや…」

丸いテーブルの上にお盆を置いた彼女は、花柄のコースターを敷くとそこに麦茶が入ったグラスを置く。
側面に水滴がついてるさまが涼しげで、指先で撫でればひやりとした感触が伝わり気持ちよかった。

「あ、それとコレ。冷凍庫に入ってたから取ってきちゃった」

差し出されたのはバニラ味の棒アイス。
早速麦茶を頂いていた俺は片手でそれを受け取り、口の中のお茶を飲み下してから礼を述べた。

「ん〜、美味しい〜」

冷気で少しばかり曇ったビニール袋を破り捨て、彼女は早速アイスに舌を馳せる。
正直に言おう。目の毒だ。

「やっぱりアイスはバニラかな〜。あーでもイチゴ味も捨てがたいし〜、抹茶もチョコも美味しいよね〜」

赤い舌がバニラの表面を嬲っていく。ダメだ。どう足掻いてもアレにしか見えない。そう言う風に見るべきではないと言うのに、そうとしか見えない。完全に目の毒だ。

「あれ?我愛羅くん食べないの?溶けちゃうよ?」
「あ、ああ…頂きます…」

彼女に促されようやく動き始めた俺は、当然の如く力加減を間違え、ビニール袋を上から下まで断罪するような勢いで引き裂いてしまった。
当然アイスは零れ落ちる。俺が慌ててキャッチすれば彼女に軽く笑われ、少々恥ずかしさを覚えつつも口に含めば冷たさと同時に濃厚な甘さが広がった。

「美味しいよね、アイス」
「ああ…」

ゴクリ、と唾液と共に生温くなったバニラを飲み込む。
目の前ではサクラが無防備な格好のままアニスを含んで鞄を漁っている。
胸元のボタンは第二ボタンまで開いており、前屈みになる度そこからチラチラと下着が見えている。何故インナーを着ていないのか。
着ない主義なのか、それとも今日は六限に体育があったからそのまま着ずにシャツを羽織ったのか。よくは分からないが大変目に毒だった。

(目のやり場に困る…)

それなりに好いている女子の部屋で、バニラアイスを口に含みながら無防備に第二ボタンまで胸元を広げている彼女を見た時、男ならどういう反応をすればいいのだろうか。
彼女と仲のいいナルトなら何と言うだろうか?素直に見えているというのか、それともそのまま鼻の下を伸ばして覗き続けているのか…どちらかと言えば後者かもしれない。
サスケならどうだろう。さりげなく頬を染め、チラチラと横目で気にしつつ最終的にはボタン閉めろよ、見えてるぞ。位言うのだろうか。よく分からん。
一つ上の学年にいる、よくサクラにちょっかいをかけてくる性格の悪いサソリならどうだろう。…止めた。アイツの顔を思い出すのは癪だ。

だがサソリのことを思いだした瞬間焦っていた自分も少々落ち着いた。というより軽くテンションが下がった。
こういう時には今後サソリの顔を思い出したほうがいいのか。いや、やはり止めておこう。そのうち殺意が湧いてくるかもしれん。俺はアイツが嫌いだ。

「…どうしたの我愛羅くん。怖い顔して」
「え?あ、いや、すまない…余計なことを考えていた…」

キョトンとした顔の彼女に指摘され、すぐさま頭を振って憎たらしい顔を消し去る。
彼女は既に机にプリントを広げていた。

「とりあえず、学際も体育祭も三年は受験が控えてるからメインは二年生って言われたし、何するか決めようか」
「そうだな…」

人の気も知らないでアイスを半分ほど食した彼女が机に肘を置き、少しばかり前屈みになる。
だから見えてる。見えてるって。少しだけど見えてるから気づいてくれ。

「んー…だからー、もしステージ借りるならやっぱり演劇かダンスだと思うのよね。先輩たちは去年バラエティ番組のパロディみたいな喜劇してたけど…私たちはどうする?」
「そ、そうだな…個人的にはダンスは避けたい…」
「あ〜我愛羅くんダンス苦手そうだもんね」
「多分阿波踊りか…最悪機械ダンスになると思う…」
「あはははは!それはそれで面白そうなんだけど!斬新で!」

俺のへんてこなダンスを想像したのだろう。手を叩いて笑うサクラにほっとしつつ、俺の視線はやはり彼女の胸元へと移っていた。

「でもとりあえず展示とか出店とかも候補に入れておこっか。ステージ使えるの二年生の特権だから、みんなステージがいいって選びそうだけど」
「まぁ選択肢は多い方がいいさ。うちは目立ちたがり屋が多いからな」
「それもそうね」

後は適当に残りの項目を話しあい、特に問題なく纏めてからプリントを纏め、仕舞う。
そうして今度は体育祭のプリントを出そうと二人で鞄を漁っていると、ふと胡坐をかいていた俺の足に彼女の足が当たった。

「あ、ゴメン!蹴っちゃった?」
「いや、当たっただけだ。気にするな」

だがここで視線を下げたのがいけなかった。
つい反射的に机の下に目線を投げて確認すれば、いつ靴下を脱いだのか。普段は隠されている彼女の真白い足と、小さくて丸い足の指先が見えた。

(っ…!!)

いかんと思ったのに何故こうも男の性というのは正直なのか。
彼女はもう当たってはいけないと思ったのだろう、伸ばしていた足を折りたたみ、横座りの姿勢を取る。
しかしその仕草を目で追ってしまい、白い足に出来た微妙な日焼けの跡や、スカートの裾が捲れて覗いた太ももに正直ドキッとした。

「えーと、体育祭は学際が終わってからだから〜…」

取り出したプリントを確認している彼女は俺の視線に気付かなかったらしい。セーフと言えばいいのか、ギリギリアウトと言えばいいのか。いや、アウトだな、うん。
一人悶々とする俺に何を思ったのか、サクラはちらりと俺を見上げた後再び我愛羅くん、と名を呼んできた。
それに対しどうかしたのかと平静を装い視線を向ければ、いつもより疑わしげな視線が俺を射抜いてきた。

「何か…今日の我愛羅くん変。もしかして体調悪いのに無理してる?熱中症になっちゃったとか?」

熱中症。
小学生の頃は保健委員に勤めていたという彼女らしい心配に素直に礼を言うことが出来ればよかったが、俺はナルトとキバのくだらない話を思い出してしまっていた。



『なぁーなぁー、熱中症ってゆっくり言うと、何になると思う?』
『はあ?何だ藪から棒に』

それこそ今日の六限時だった。女子がプールの時、男子は体育館でバスケか外で野球かサッカーか。その日によって異なる。しかし今日は少し日差しが強かったため外での競技は止め、館内での競技になった。
その際同じチームだったナルトとキバが俺の両端に立ち、別のチームの試合を眺めていたのだが、この二人に挟まれた時点で気付けばよかったのだ。
どうせ碌な話はしないのだと。

『だから、熱中症だよ!』
『何だよ我愛羅、知らねえの?』

両端を挟んで二人の友人が熱さとは別に顔を赤らめている気がして正直気持ち悪かったが、何の事かさっぱりだと素直に返した。
すると二人は嬉々として俺の肩を組み(正直汗臭いし暑かった)だーかーらーと得意げな顔を見せながら教えてきたのだ。

熱中症をゆっくりと言えば『ね、チューしよう』に聞こえると。


バカか。アイツらはバカか。いやバカだ。知ってた。バカだった。そしてそれを聞いてバカだと返した癖にしっかり覚えてた俺も限りなくバカだ。バカの一員だ。やったね、ってアホか。
慣れないノリツッコミを頭の中で一瞬でしてしまうほどの衝撃だった。何と疾しい想像をしているのだろうか。先程あれだけ疾しい心などないと自分で断言したくせに。
すでにその言葉が音を立てて崩壊していきそうだった。

「…すまないサクラ…」

俺は思わず机に突っ伏す。疾しい心などないと断言したくせに、もう俺の頭の中は煩悩でいっぱいだった。
だってしょうがないじゃないか。部屋に来てからというものチラチラチラチラチラチラと、白い下着が顔を覗かせてたんだぞ。見るなと言う方が無理だ。俺だって男だ。無理だ。
しかもさっき言わなかったが実はパンツだって見てしまった。上下お揃いでしたね、なんて言えるか。どこの変態だ。もうダメだ。俺はどこかに頭をぶつけて記憶を飛ばすしかない。
それしか彼女の心を救える方法はないんだと唸っていたら、何を勘違いしたのか彼女は立ち上がると、俺の傍に膝をつき背中に手を当ててきた。

「大丈夫?!やっぱり気持ち悪かった?脱水症状かな…ちょっと待ってて!すぐポカリ薄めて持って来るから!」

いやだから違うと何度言えば。あ、まだ言ってなかったか?よく覚えていない…
しかしこのまま彼女に勘違いされたままの方がいいんじゃないか?そう頭の中の悪魔が囁いた時、俺は自然と顔を上げてしまった。

「…ナイスアングル…」

帰宅途中暑いからと言ってスカートの裾を上げていた彼女は、所謂ミニスカート状態になっていた。
そのせいで立ち上がった彼女と突っ伏していた俺の視線が見事に合致し、先程とは違い完全に見えていた。何が、って勿論スカートの中が、だ。
ありがとうございます。
思わずそう口にしそうになったのを必死に喉に押し込めたが、気づいた彼女は顔を赤くして裾を押さえた。

「見た?!今見たでしょ?!」
「え。あ、いや…いや、その…」

はい。見ました。
素直にそう言えばどうなるか。殴られるか、蹴られるか、はたまた罵られるか。最悪嫌い。と言われるかもしれない。それは嫌だなと思っていたところで、サクラからキツク睨まれてしまった。

「我愛羅くんのエッチ!そんな人だとは思わなかったわ」

俺は聖人君子か何かかと思われていたのだろうか。
疑問に思いつい尋ねたくはなったが、ここは素直に謝っておこうと懸命な選択をし、頭を下げた。

「すまない…見るつもりはなかった…」

正直二度目だったけどな。と言う言葉は自分の中でだけ続け、真摯に頭を下げれば彼女の拗ねたような声が頭上に落ちてくる。

「もーっ…こっちは真面目に心配してたって言うのに…」

確かに行動も言動も真面目ではあったが格好は不真面目だったな。なんて言葉も勿論言えるはずがなく。
胸の内に言葉がどんどんと重なっていく。知られれば確実に殴られるから絶対に言わないが。

「……もっと可愛いの履いてる時ならよかったのに…」
「え?」

思わず聞こえてきた声に顔を上げる。今何と言っていた?

「何でもない!我愛羅くんのバーカっ!」
「え…あ、いや、その…いや、すまん…?」

さっきの言葉は幻聴だったのだろうか?ともすれば俺は大概変態の領域に足を突っ込んでいるわけだが、いや、でもなぁ…サクラがそんな破廉恥な発言するとは思えんし…

「…とりあえず、ボタンはもう一つ閉めた方がいいんじゃないか?」

ようやく言えたその一言に、彼女は再度顔を赤くしてからプリントを投げてきた。
避ける暇なく顔に当たったプリントの奥で、彼女から再度エッチ!と叫ばれたのは無理もない話だろう。


end



→ おまけ