一体、いつからだろうか。
生ぬるい湯に使っている感覚に気がついたのは。
 周りが少しずつ変わっていくことに恐怖を覚えたのは。

 何も考えず、何も気がつかずに無邪気に笑っていた子供の頃に戻れないことなど知っていたはずなのに。
 年を重ねる度に弱くなっていく自分がいる事に気がつかないふりをした。


「おめでとう!」
 きゅっと口角を上げ目元はにこりと形作る。
「ありがとう、サクラ!」
 泣きながら、でもすごく嬉しそうにお礼を言ういのは今日、木の葉の里で誰よりも綺麗で、誰よりも輝いていた。



 ザアアアアと降りしきる雨の音。
居酒屋の喧騒が掻き消されるのではないかと思うほど、雨音は耳に残る。
 わいわいガヤガヤ。
まるでそんな効果音が聞こえてきそうなぐらい、貸切の居酒屋は盛り上がりを見せていた。

 嬉しそうないのの表情を少し離れた位置からぼんやりと眺め、窓の外に視線を移した。
雨の中淡く輝く街の明かりが少しだけ寂しそうだった。



「どうしたの? サクラ」
 輪の中から少し外れ、一人で居た私の正面ににこりと笑った顔が現れた。
「サイ……」
 随分と久しぶりに会った気がしたのはきっと、気のせいではない。
「久しぶりね。この前あったのは半年ぐらい前かしら」
 冷えたビールをぐいっと流し込む。相変わらず、にこりと笑うサイの表情になぜだか視線を合わせられずに
しゅわしゅわとグラスの中で静かに音を立てるビールを眺めた。

「ねぇ、サクラ」
 サイの落ち着いた声はどこか心地いいけれど、少し怖かった。
「……なに」
 どんな表情をしているかは分からない。
 視線をサイの顎まで持ち上げたけれど、目を見るのが怖くて私はまた視線をビールに向ける。

「君達は、いつまでそうしているんだろうね」

 その言葉にほんの一瞬だが息が詰まる。
グラスの取っ手を握る力が少しだけ強くなるのを気がつかないふりをした。

「私達は変わらないわ。今までもこれからも……ずっと、変わらない」
 いのが結婚した。
 嬉しかった。本当に幸せそうに喜んでいた。
 私も心の底から祝福をした。嘘じゃない。本当だ。
 
 だけど、ひとつ、大切なものがするりと手から落ちていった。
 嬉しい。だけどとても寂しい。

 変わることが怖かった。自分も、周りも。
 子供の頃は恐れるものなんて何もなかった。
ただ、自分の感情を素直に出して喜んだり、笑ったり。泣くことも簡単だった。

「いつまで、たった三人の世界のままなんだろうね」
 サイの言葉が耳につく。
わいわい、がやがやと五月蝿いはずの居酒屋の喧騒なんて何一つ聞こえない。

「いのさんが結婚した。自然の流れだ。ナルトやサスケ君、サクラもいずれそういう時を迎えると思う」
「……」
「人は変わっていく。変わっていかないようで少しずつ変わっていく」
「……やめて」
「いつまでも、三人一緒にいられないことなんて君が一番分かっているはずじゃないか」
「やめてよ!」
 サイに聞こえるぐらいの大きさで少しだけ声を張る。
 
「変わらない、私達は変わらない。周りが変わっても私達は変わらない」
 ナルトが居て、サスケ君が居る。
それだけでいい。それだけで何も要らない。

「……私達は、何も変わらない」
 訴えるような言葉にサイが少しだけため息ついたのが分かった。

 何か言おうとしたサイに居た堪れなくなってガタンと音を立て立ち上がる。

「何も、変わらないわ」
 捨て台詞のように、そして自分に言い聞かせるようにもう一度だけポツリと呟いた。






 ジャアー流れる水音。蛇口を捻り水が勢いよく排水溝に流れていく。
ふと、顔を上げると鏡に映る自分の顔に思わず顔を顰めた。

 年相応の自分の顔が憎たらしかった。
濡れたままの手で鏡に映る自分の顔を一度撫でたが水滴が付くだけで何も起こらなかった。

「サクラちゃーん」
 居酒屋のトイレの出入り口から聞こえてくる馴染みの声。
 ざわざわする心が少しだけ、落ち着いた。

「どうしたのよ、わざわざトイレの前まで来て」
 少し小さなトイレの入り口。
 ドアを開けて目の前の人物に少しだけため息をついた。

「サクラちゃんの姿が見当たらなかったから気分でも悪くなったのかなーと思って」
 にかりと太陽のように笑うナルトの笑顔。
何よりも、私の心を安心させるものなんだ。

「それより、何か言われたのか」
 ナルトの後ろから姿を見せたのはサスケ君。騒がしい店内を一瞥した後視線をこちらに向ける。
 先ほどのサイとの会話の事を言っているのであろう。
 ふるふると首を横に振って「いいえ、何もないわよ」と言葉を返した。
「そうか」
 少しだけ眉を吊り上げたサスケ君だったが、ほんの少しだけ笑った。
「だったらなんでもない。帰るぞ」
 木の葉の里に帰ってきて、私やナルトに見せる笑顔が好き。
 今度は私とナルトの手を離さずにしっかりと握ってくれる掌が好き。

「そうだってばよ。今日はもう疲れたから早く帰るんだってよ」
 左手をサスケ君に。右手はナルト。
 二人の掌を決して離さぬようにしっかりと握り返す。
 
「そうね、今日はもう帰りましょう」
 にこりと笑い合う私達。
 傍から見れば異常だと思う行動だって分かってる。
それは三人とも分かってるのだ。サスケ君が帰ってきた日から私とナルトはうちは邸に転がり込んだ。
 互いの存在を確かめ合うように。今度は誰も離れぬように。

 いつまでも続けばいいと思うのだ。この生温い関係が。
 ナルトやサスケ君に縁談の話が来ている事、それを断っている事も知っている。
互いが互いに依存しあっている事なんて周りから言われなくても自分達が一番分かっているのだ。

 カラカラと居酒屋の扉を静かに開け、騒がしい宴会場を後にする。
きっと、サイが私達を見ていたが、気が付かないふりをした。


 ホー、ホーと何処からか聞こえてくる夜の住人の声。
 緩やかに降る雨が靴を汚していく。
 昔はこうだった、カカシ先生はどうしてるとか話に出てくるのはいつだって昔のこと。
「なーなーサクラちゃん!」
「なによ、そんなに笑って」
 夜道でキラキラと輝くナルトの髪。

「俺達はこれからもずーっと、ずーっと一緒だってばよ」

 まるで呪いの言葉。私もナルトもサスケ君もこのぬるま湯から抜け出すことができないんだ。




相互依存




「サイさん、サクラ見なかった?」
 先程までの嬉しそうな表情から一変したゆらりと揺れる瞳。
 まるで、世界の終わりのような表情をしていた。

「三人一緒に帰りましたよ」
 にこりと笑えば、サッと顔色を青くし少しだけ目を伏せた。
「そ、う……」
 ポツリと呟くと、いのさんを呼ぶ声。
 ペコリと少しだけ頭を下げて酒盛りをしている輪の中に戻っていった。

「まるで、呪印のようだ」
 
 僕の声は三人には届かない。
 


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 三人だけで完結してしまっている世界。
それをなんとかしたいと思ってしまったサイ。

 誰も救えてない話。