体中に突き刺さるような冷たさに、首に巻いていたマフラーを掴んで口元まで隠してしまう。
それでも口から出る息は真っ白で、空に向かって消えていく。


 がやがやと、煩い朝の教室。
席に着くまでに、聞こえてくるのは女子達の楽しそうな声。
まだ朝のホームルーム前だと言うのに、今日の放課後と明日の予定を話している。

(皆、張り切ってるなあ……)
 ひそりと心で思う感想。

 窓際の一番後ろ。
ガタリと小さく音を立て、椅子に座って鞄から教科書と筆箱を取り出す。
引き出しに仕舞っていると、目の前に影が落ちた。

「サークラ、今日どうするの?」
「どうって……なにが」
 顔を上げればそこに居たのはにこりと笑ういのの姿。
寒くないように紺のカーディガンを上から羽織り、今日は髪をお団子にしていた。
いのの金髪に映える花の髪飾りが、可愛いな。と思う。

「なにがって……チョコよチョコ、明日よバレンタイン!」
 信じらんない! と声をあげ、前の座の椅子に腰を下ろすいのに、はぁ、と小さく言葉を返す。

「渡すんでしょ、チョコ」
「……ナルトとサスケくんにね」
 誰に渡すのかを明確に言われなかったので、幼馴染二人の名を上げる。
「違うでしょう、アンタ私が気がつかないとでも思ってんの?」
「う……」
 じろりと睨みつけてくる視線に、顔を逸らし机に突っ伏した。
「ぐいぐい来られたら苦手かなって思って……」
 机に突っ伏した私の髪の毛で、いのは遊んでいる。
「よく言うわ……彼が委員の時よく図書室に行くくせに」
「借りたい本があるからよ」
 半分嘘で、半分本当。
図書室には頻繁に通っている。ただ最近は彼が居る時に狙っていっているのも事実だ。

「それなりに仲がいいんじゃない?」
「……それなりにね」

 顔をあげ、頬杖をついてムスリと表情を崩す。
にやりと笑ったいのがからかう様にデコをつんつんと突っついてきた。

「いいのかしら、彼モテるみたいよー? ぐずぐずしてるとそこら辺の女に取られちゃうわよ」
「わかって、るわよ……」
 そんなことぐらい百も承知だといのとの応酬を繰り返していれば、ざわりと廊下が煩くなる。
視線を向ければ、そこに居たのはナルトとサスケくん。
二人を取り囲む女子の姿に、いのと顔を合わせる。

「相変わらずモテるわねえー」
「ほーんと、サスケくんはともかくナルトもねぇ」
 今の内から明日の予定を聞いているのだろう。モテる二人は大変だ。

「昔は、アンタもあの中に居たのに」
「いのだってそうじゃない」

 二人ともサスケくんに恋して、憧れて。
幼いながらも本当に好きだった、大好きだった。

「まあ、振られましたし」
「右に同じく」
 近しいからこそ、そういう風に見れない、見たくないのだと言われた。
恋よりも愛よりも、友としてることを選んだのだ。

「あー、いいの! 今年はサイさんと一緒に過ごすんだしー」
「意外と上手くいってるのね」
「おかげさまでね」
 一学年上のサイと付き合ってると聞いた時は本当に驚いたし、サイに遊びじゃないだろうな! と殴りこみに行ったぐらいだ。

「いいなぁ……」

 ぽつりと、思わず口から出た溜息。
いのは何時だって上手く立ち回れるし、相手の心にするりと入り込んでしまう。

 私だって、いのみたいに自信を持って向き合いたい。

 はあー、ともう一度机に突っ伏して、顔を腕に埋めていると、ゴツンと頭に何かが当たる。
なんだろうと思い「ん?」と声をあげ振り向けば、本を持っている彼が居た。

「あらー、我愛羅くんおはよう」
「おはよう」
 冷静な我愛羅くんの声が、頭の上に落ちてくる。
「お、おはよう! 我愛羅くん!」
 思わず声が裏返り立ち上がれば、はい。と我愛羅くんが持っていた本を手渡された。

「お前が読みたかった本が返却されてたから持ってきたぞ」
「あ……ありがとう」
 渡された本を両手でしっかりと握り締めお礼を言えば、我愛羅くんが少しだけ微笑んでいた。

「返却は来週だ。持って来いよ」
「う、うん!」
 ひらり、と腕を振り我愛羅くんが自分の席に着けば、ナルトとキバが我愛羅くんに向かって何か話している。
ぼんやりとそれを見ていれば、目の前の席に座っているいのが声を上げて笑っていた。
「うふふふふー、微笑ましいわねー」
「な、なによ……」
 いのの笑い声に、思わず顔に熱が集まるのを理解する。

 ああ、駄目だ、我愛羅くんに声を掛けてもらって微笑んでもらうだけでこんなにも心臓が煩くなるなんて。
握り締めた本に思わず力を込めて、ぎゅっと握り締めていた。







「んで、決めたの?」
 呆れたように頭上から話しかけてくる声に、もうちょっと待って! と手を合わせる。
綺麗なショーケースに並ぶ、ラッピングされた可愛いチョコレートを前にもうどれぐらい悩んだのだろうか。

「もー、私買ってきたわよ」
「わかってるわよ! ナルトとサスケくんのはもう決めたの!」
 手に持っている二つのチョコレートはもう渡す相手を決めているのだ。
後一つ、買うかどうかを悩んでいる。

「買えばいいじゃない。買って我愛羅くんに渡しなさいよ」
「うー……でも甘いの苦手って聞いたし」
「そんなの今更じゃない! ただ言い訳がほしいんでしょ」
 いのの言うとおりなんだ。
ただ、我愛羅くんに想いを伝えるのが怖くて逃げたい。
結局駄目だったら我愛羅くんと話しも出来なくなるし、気まずくなる。

(友達としてもいれなくなるじゃない)

 悶々と唸る私を他所に、いのが店員さんに「すみませーん」と声を掛けてしまった。
「ちょっと、いの!」
「なによー、もう我愛羅くんには渡さないんでしょ? だったら悩まなくていいじゃない」
「渡さないとは言ってないわ! ただ……」
 ぎゅっと力を入れる、手に持った二つのチョコレート。
ナルトとサスケくんには渡せるのに、我愛羅くんに渡す勇気が無い。

 ぐっと目を瞑り、眉間に皺を入れると突然背中をドン! っと叩かれた。
「馬鹿ね! 一人でずっと悩んでもしょうがないでしょう。言わないで伝わる想いなんてないのよ!」
「……いの」
 言わないで伝わる想いなんてない。
そりゃそうだ。我愛羅くんの気持ちなんて知らないし、分からない。
いつも話すのは本の事ばかりだし、恋愛の話をしてもそれとなく逸らされてしまうのだ。

「振られたら、私が一緒に泣いてあげるわよ」
「いの……!」
 振られると決まったわけじゃないけれど、いのの言葉が嬉しい。
何時だって背中を押してくれるのはいのしか居ないのだ。


「商品はおきまりですか?」
 店員の声に、両手に持っていたチョコレート一つとは別に、ショーケースに入っていたビターチョコレートを一つ指差した。
「すっ、みません! これもお願いします!」
 優しく笑ってくれた店員さんに、少しだけ安心した。



 ***


「まじで!? まじで!? サクラちゃん!」
「義理よ! 義理に決まってんでしょう!」
 教室で声高らかに喜ぶナルトに、もう一度義理だからね! と制しても喜んでいたのでまあ、いいか。と息を吐く。
サスケくんにも、はい。と渡せば心底驚かれた顔をされた。

「お前……違うんじゃないのか」
「なにが?」
 ぱちぱちと瞬きをするサスケくんに「ああ、手作りじゃないわよ」と一応言っておいた。
「俺やナルトに渡す前に、渡さなければいけないやつが居るんじゃないのか」
 サスケくんの言葉にギクリとしたが、乾いた笑いで誤魔化した。

「あはは、何のことかしら」
 まさかサスケくんから言われるとは思わず頭をガリガリと掻く。
もしかすると、いの以外にも勘のいい人達は気がついてるかもしれないと、内心友人達を疑った。

「さー、そこに並びなさい! チョコが貰えない男子達に恵んであげるわよ!」
「さすがいのだぜ!」
「……五円チョコだと」

 放課後の教室。
いのがクラスメイトの男子達にチョコをばら撒いているのを遠目で見て、元気だなあと思う。
さっきチョコを渡したナルトもキバやシノ達と混ざって五円チョコを貰っていた。
もう、昔からのその光景に思わず微笑んだ。

 ふと気がついて教室内を見渡せば、我愛羅くんが居ない事に気がついた。
もう、図書室に委員の仕事に行ったのかしら。そう思い鞄の取っ手を握り締める。
 大げさだけど、まるで戦場に向かうみたいだ。
鞄の中には、玉砕覚悟で我愛羅くんに渡すチョコレートが入っている。

「サクラ」
 いざ、図書室に向かおうと教室の出口まで移動すればサスケくんから呼び止められた。
どうしたのだと思い、振り向けば少しだけ微笑んでいた。

「まあ、頑張れよ」
 それはきっと、口下手なサスケくんがくれた精一杯の応援。
友達として、一緒にいる事を選んだサスケくんからの手向けの言葉。

「うん! ありがとう!」
 にっ、と歯を見せて笑えばサスケくんが笑ってくれたような気がした。
大丈夫、大丈夫。いのもサスケくんも背中を押してくれた。
どんな結果になろうとそれは受け止めなければいけない。

 バタバタと足をと煩く走る足音が、放課後の廊下に響いていた。


「確率は五分五分ってところねー、サスケくんはどう思うの?」
「サクラの勝ちだな。我愛羅に逃げる術はない」
「あら、本当……」

 サクラが立ち去った後の教室で、いのとサスケの会話をサクラが聞くことはなかった。




(もう、意外と暗くなってる)
 陽が落ちるのが早いこの季節は、廊下がもう薄暗い。
図書室までの道のり、学校に残っていた数名とすれ違う程度。

「我愛羅くん、居るのかな……もしかしたらもう帰っているかも」

 図書室が閉まる時間は意外と疎らだ。
利用する生徒が居ないと分かれば直ぐ閉まるのだ。
 ぱたぱたと足音が響く廊下。
階段を上がり、図書室が見えればまだ灯りがついていた。
少しの安心感と緊張感で図書室の扉に指が触れる瞬間、図書室の中から聞こえてきた声に思わず手を止めてしまった。

「我愛羅先輩! ずっと好きだったんです、付き合ってください!」

 ビクリと身体が震えた。
先輩と言っているので一年生の子だろう。震えた声が、緊張感が外に居るのに伝わってくる。
我愛羅くんはどうするのだろう。
そう思い、ぎゅっと手のひらを握り締め目を閉じた。

 ぼそぼそとしか聞こえない声。なんて言っているか分からない。
こんな所で立ち聞きするのもどうなんだろうか。
そう思いながらも足が動かず、綺麗に清掃された床を見る。

 ガラリ、と目の前の扉が突然開けば可愛らしい女の子が驚いた表情をしてる。
ぺこりと頭を下げ、隣をすり抜けていった女の子のが、少しだけ泣いていた気がした。

「サクラ、なにしている」
 女の子が走り去っていくのをぼんやりと見ていれば、いつの間にか背後に立っていた我愛羅くんに声を掛けられた。
「うわ! いつの間に!」
 仏頂面で見下ろしてくるその姿は相変わらずだ。

「さっきだ……それより用事があったんじゃないのか?」
「ん、あ、そう! 本を返却しようと思って!」
 嘘じゃない。
昨日我愛羅くんに渡された本とは別に、借りていた歴史の本を返しにきたのだ。
「そうか」
「そうそう!」
 あんな女の子の姿を見た後じゃ少しばかり憚られる。
さて、どうしようか。と考えていると我愛羅くんが図書室の中に入っていってしまう。
後を追うように図書室に入れば、どうやら利用している生徒は居ないみたいで思わず緊張してしまう。

「あ、あのさあ、我愛羅くん」
「なんだ?」
 図書室のカウンターの越しに返却する本を我愛羅くんに手渡す。
鞄の中にひっそりと入っているチョコレートの箱が、指先に触れる。

「あのさあ……」
「なんだ」
 中々言葉が出てこない私の次の言葉を待つように、我愛羅くんがじっと見つめてくる。
綺麗な緑色をした瞳に見られ、もう一度「あのさ」と言葉を漏らした。

 言葉が出てこない。
シンと張り詰める図書室の空気が余計に緊張感を漂わせる。
カラリと乾いた喉が痛い。

「サクラ」
「はい!」

 言葉が続かない私に痺れを切らしたのか、我愛羅くんに名前を呼ばれる。
思わず元気に、返事をすれば我愛羅くんがひそりと笑う。


「オレにはくれないのか、チョコレート」

 そっと、我愛羅くんの指が私のごわついて長い髪を掬う。
我愛羅くんに覗き込まれ、顔に熱が集まるのを理解した。

「あ、ある! あるある!!」

 鞄から取り出し、勢いよくカウンター越しの我愛羅くんの胸元に押し付けた。

「ずっと、待ってたんだがな。お前から貰うの」
「へぇ!?」
 どういうことだと、体温が上昇する頭で考えたが、そんな馬鹿な! と声を思わず上げてしまいたくなる。

「が、我愛羅くんは!」
「ああ」
 カウンターに両手を付いて我愛羅くんに思わず詰め寄る。
「我愛羅くんは、好きなの!? 私のことが!」
 瞬きをする我愛羅くんが、首を傾げ逆に聞いてくる。

「お前は、オレが好きじゃないのか……?」
「す、好きよ、好き! 大好きよ!」

 あれ? 私は我愛羅くんが好きで、我愛羅くんも私を好き?
と言うより、知っていたのか、もしかして!

「いつから……いつから知ってたの……!!」
 ぶるぶると肩を震わせて我愛羅くんに問う。
本人に好意が知られている事ほど恥かしい物はない。

「……ずっと前から?」
「か、帰る! 私帰る!!」
びえ、と半泣き状態で逃げようとすれば、カウンター越しから我愛羅くんの腕が伸びてきた。

「逃がすか」
「放してよ! もう馬鹿じゃない! 知ってたんなら言ってくれてもいいじゃない!」
 ジタバタと暴れる私の腕を掴んで「つい、楽しくてな」と笑う我愛羅くんを悪趣味だと思ったけど、
楽しそうに笑う我愛羅くんの表情に思わず見惚れる私も私だと思う。


「ばーか、我愛羅くんのばーか。悪趣味、ムッツリ」
「……よくそこまで悪口が言えるな」
「愛情ですー、愛の裏返しですー」
 図書室を締める準備をしている我愛羅くんの隣で、チクチクと嫌ごとを言っても我愛羅くんはただ笑っている。

「馬鹿じゃないの! でも我愛羅くんを好きな私も大概だわ!」
 むにり、と頬を抓まれ痛い。と言えば腕を取られ手のひらを握られた。

「帰るか」
「……うん」

 ぎゅっと握り返せば、更に力を入れて握り締められた。


 陽が沈んだ空はもう暗くて、星がきらきらと顔を出している。
突き刺さるような風は冷たかったけれど、握っていた手のひらだけがただ、焼けるように熱かった。


2015.我サク独り祭り
017.sugary