いつの話だったのか。
ただの子供の頃の戯言だと理解しているはずなのに。

 淡い夢を見て、現実を思い知る。

「もう、覚えてないわよね」

 淡く輝く朝の日差しが室内に差し込んで。
ベットの上に座り、膝を立てて頬杖をする。

 ぼんやりと、窓の外を眺めていれば、ちらちらと桜の花弁が散っていた。



「サークラ、お昼食べたー?」
 里の大通り。
背後から聞こえた声に振り向いて、まだだと答えれば声をかけてきたいのがにこりと笑う。

「じゃあ、一緒にお昼行かないー? 午後から任務無いでしょう」
「うん、行くわ。何食べようか」
 昨日は二人で定食を食べに行ったから、じゃあ今日はちょっと小洒落たお店に行きましょうか。と話が纏まった。

 それにしても平和である。
穏やかな風が里を緩やかに通り過ぎ、暖かい太陽の光が人に優しく微笑んでいる。

 ところでさあ、とカフェに向かう途中いのとの会話がブツリと途切れてしまう。私といのの間を無遠慮に通り過ぎる女が数人。
なんなのか一体。
そう頭の中で考え、ぶつかって走っていった女達の背中を見たが、女達は何かを見ながらきゃあきゃあと遠くで黄色い声を上げていた。

「ちょっと、ぶつかったら謝るぐらいしなさいよねー、本当……」
 いのが腕を組みながら、ムスリと口元を下げるいのに確かに。と頷いて同意する。

「それにしても何かあったのかしら……」
「あれ、サクラ知らないの?」
 少し驚いたいのだが、顎に手を当てすぐさまニヤリと表情を崩した。
「な、なによ……」
「いやー、なんでもないわー。まあそれよりあんな人だかりは放っておいてさっさとご飯食べに行きましょう」

 ぐいぐいと背中を両手で押され、今し方来た道を後戻りす事になる。

「あれ、あっちじゃないの?」
「あーんな人だかり邪魔で仕方ないわよ。昨日と同じ定食屋に行くわよ」
「えー、昨日と一緒?」

 未だ背中を押されたまま、いのの言葉に少しばかり不満を漏らせば「文句言わない!」と一喝される。
仕方ないか。そう思いいのに背中を押されれながら、ちらりと振り返ったが結局人だかりに誰がいるか分からないままだった。



「ねえ、サクラ」
 お昼ごはんにと注文したお蕎麦をぺろりと平らげ、ご馳走様でした。と手を合わせ、一息ついたところでいのの声に視線を上げる。

「なによ」
 デザートの餡蜜を一口食べ返答をする。
 窓際の席に座った私達の声はどこか切り離された空間に感じ取れた。

「アンタさ、いい加減彼氏ぐらいつくったら?」
「……突然何よ」

 思わずスプーンを銜えたまま、口をへの字に歪めてしまう。
突然。とは言ったものの、今の話の流れで突然というだけであって、正直前々から言われている事なのだ。

「純潔を護るのもいいんだけどだー、子供の頃の口約束でしょう。そもそも相手だって覚えてる事すら怪しいんだから」
「そうだけど」
 だけど、子供の頃の口約束を信じている幼い自分が存在する。

「もう少しだけ、夢見させてよ」
 いつか現実と向き合わなければいけない事ぐらい知っている。
そもそもの身分が違う事ぐらい重々承知しているのだ。

「夢を見て、夢を見すぎて美化するのもいいけどさ、そろそろ現実見ないと。打ちのめされるのはアンタなのよ」

 落とされる言葉は心に現実を見せ付ける。
分かっているのだ、もう随分と彼と話していない事も。姿を見ていないことも。
 ただの夢物語と言う事も。

 それでもまだ、生温いだけの夢に浸かっていたいのだ。


「ありがとうございましたー」
 またのお越しをお待ちしておりますー。と聞こえた店員の声を背にとぼりとぼりと歩いていく。
 目の前を歩くいのの背中はしゃんと伸びて、いつだって前を見て歩いている。
 いのみたいに現実見て、まっすぐ前を向いて歩いていきたい。いつまでも甘ったるい夢なんか見ていたくないのに。

 なのに、子供の頃の私がまだもう少しだけ。と邪魔をする。

「サクラ」

 地面からゆるりと顔を上げれば、いのが険しい表情をしていた。
「なに……」
 覇気のない声色で返事をすれば、いのが盛大に溜息を吐く。
「アンタね、ちょっと言われたぐらいで落ち込んでんじゃないわよ!」
「へ」

 私の顔を覗き込んできたいのに、ぎゅっと鼻先を抓まれ思わず声を上げてしまう。

「ふが! なにするのよ!」
「相手を信じるって決めてるんでしょう! だったら自分を信じなさいよ」
 なんて理不尽な。
すぐさま頭を過ぎった言葉だが、いのはもしかすると私の気持ちを確かめてくれたのかもしれない。

「……いの、ありがとう」
「ありがとうって、なにがよ」
 変なサクラね。
眉を下げて笑ういのに、私も同じく眉を下げた。

「あーあ、アンタがその程度じゃ相手も可哀想よ」
「……なんでよ」
 コロリと表情を変え、悪戯っぽく笑ういのに思わず顔を顰めてしまうが、コレばっかりは仕方がない。

「子供の頃の約束ってさ、意外と大事な所を忘れてしまったりしてるのよ」

 どういうことだろうか。いのは何を言っているの?
首を傾げた私の背中を、ドン! と叩いて「頑張ってね」と言い残してさっさと大通りを通り抜けてしまう。

「頑張って……? なにを?」
 大事な、とても大事何かを忘れているのだろうか。
不安になり、記憶を探るが思い出せるはずも無い。

 バタバタと慌てて家へと駆け抜ける。
いのに言われて気がつくなんて、凄く間抜けかもしれないけれど何か大切な物を私はいつの間にか忘れているかもしれない。

「ただいま!」

 バタン! と大きな音を立て玄関を潜り抜け、靴を脱ぎ散らかして数年前に出て行った、自分が子供の頃に過ごしていた自室を勢いよく開け放った。

「サクラー! いい加減、靴を並べなさい!!」
「お母さんごめん! 今それどころじゃないの!」

 玄関先から聞こえてきたお母さんの怒鳴り声に謝るのもそこそこに押入れを開ければ、舞う埃にゲホゲホと咳き込んでしまう。

「まーったく、久々に帰ってきたと思ったら押入れひっくり返してどうしたんだい」

 ひょいと背後から顔を出したお母さんに、ちょっとね。と言葉少なく返す。
そんな私の態度なんて気にも留めてないようで、私の手元にある何かに気が付いて「あ」と声を上げた。

「懐かしいじゃないか、これ」
「え、どれ……」

 顔の横から手を伸ばし、懐かしいと言った"それ"を掴んで「ほら」と目の前に見せられる。
パチパチと瞬きを繰り返し、私は小さく声を上げた。


「これ、」
「そうそう、確か砂の男の子だったじゃないか。このくまのぬいぐるみアンタにくれたの。元気にしてるのかねぇ」

 よく小さい頃にナルト達と一緒に遊んでいただろう?
言われた言葉にコクリと頷き、思わず泣きそうになってしまった。
 お母さんから受け取った、くまのぬいぐるみ。
そのぬいぐるみの首に、決して忘れないようにしようと幼い頃の私達はある約束事を印したスカーフを巻きつけたんだ。

「……我愛羅くん」

 ぽつりと思わず呟いた、彼の名前。
そうそう、そんな名前だったわね。とお母さんが言ったけれど私は返事も返さずに、ただくまのぬいぐるみを見下ろしていた。

「お母さん、私……」
 約束を破ってしまった。我愛羅くんとの約束はもう三年も前に過ぎてしまっていたんだ。

「約束守れなかった……!」
 思わずボロリと零れ落ちた涙は、頬を伝い静かに微笑むくまのぬいぐるみに染みてしまう。

「サクラ……」

 子供のようにみっともなくなく私に、お母さんの手はとても優しかった。




 多分、いのの言葉は全て私の対しての警告。
うんと子供の頃に、私が嬉しそうにいのに言っていたのを思い出した。
何処でいのが気がついたか分からないけれど。
馬鹿みたいに焦がれる私に、早く思い出せと言っていたんだ。

 二十歳の私の誕生日に、よく遊んだ花畑で会いましょうと約束をしたんだ。
 砂隠れまで謝りに行こうかとも思ったけれど、約束破って三年も過ぎてるのに今更なんだ。とも言われそうな気がして怖かった。

 それに、我愛羅くんが覚えている事も確証はない。
私みたいに忘れているかもしれない。

 今更もう遅いけど。
誕生日と全くかけ離れてるし、そもそも、もう既に三年も過ぎてしまっているけれど。
折角思い出したのだから、思い出に浸りに行こう。
そう思い、太陽が傾く木の葉隠れの里をくまのぬいぐるみを持ってゆっくりと歩いていく。

 夕暮れ時の太陽が里を赤々と染めていた。



「うわー、懐かしいー」
 ざわざわと風に揺れる花の音色。

(そう言えば、我愛羅くんとの約束から来ていないんだっけ)

 思い出に浸るには丁度よく、何も変わっていない。
変わったことと言えば、背丈が低かった私達が背の高い花たちに隠れてしまっていたけれど、今では腰あたりまでしか隠さない事ぐらいだ。

 大人になった彼はどうなっているのだろうか。
最後に見たのはいつだったのか。
十五か十六の頃だろうか。
多分、遠目で見ていただけだったんだ。
 木の葉と砂で交流はあるし、ナルトやサスケくんもよく会うと言っていた。
 私だけが会えてない。会う機会を尽く逃している。

 だからこそ、想いだけが募っていく。

 ガサガサと草花を掻き分け歩いていけば、青々と茂った木の下にたどり着く。

「懐かしい……ここで皆でかくれんぼしてわねー」
 我愛羅くんと一緒に隠れたこともあった。

 几帳面で、遊ぼうと約束すれば必ず時間前には待ち合わせ場所にいた。

「だからこそ、厭きられたかもしれないわね」
 木の根元に腰を下ろし、膝を立て顔をあげれば木の葉の間から夕焼けの太陽が光が差し込んでいる。

「会いたいなあ……」
 瞼を閉じればうつらうつらと眠りに誘われる。
身体を撫でる柔らかな風が過ぎれば、いつの間にか意識を手放した。



 沈んだ太陽と交代で、顔を出した満月が淡く光を輝いている。

「これで、臆病な貴方は信じられたのかしら?」
 ガサリと揺れる花の音。
くすくすと笑い肩を揺らせば、金に輝く髪の毛がゆらゆら揺れる。

「……すまんな。手間を掛けた」
「いいえー。あの子しっかりしてるようで抜けてるから。あれでも凄く楽しみにしてたのよー……肝心な所を忘れてたみたいだけど」
 ばつが悪そうな隣に立つ男の顔を見て、更に声を上げて笑った。

「三年の遅刻だぞ。この三年どれだけオレが悩んでいたと……」
「ご愁傷様」

 チッと舌打ちをする男に見えぬように、べーっと舌を出し「いい気味よ」と内心思う。
自分達からあの子を連れて行く隣の男が憎いわけではない。
ただ、あの子が大層驚いて、至極喜ぶ姿が目に浮かぶのが少しばかり悔しいのだ。

「他の女に現を抜かしていると、あの子はすぐ掻っ攫われていきますよ」
「サクラ以外興味がない」

 あらそう。間髪いれずに返された言葉に肩を竦め、よっこいしょと口に出しながらその場を立ち上がる。

「きちんと家まで送り届けてくださいね」

 それじゃあ、とひらりと右腕が空を切ったところで男も立ち上がり、声を上げた。

「山中」

 静かな花畑に響く声。
名を呼ばれ振り返れば、男が優しく笑っていた。

「恩に着る」

 ああ、こんな表情もするのね。そんなことを思い、にやりと笑って歯を見せた。

「どういたしまして」

 明日はちょっと可哀想だから、明後日サクラにどうだったか話を聞こうかしら。
そう心に決め、一つに結んだ金の髪を翻した。


 子供の頃の、幼い約束に終止符を。
穏やかに寝息を立てる彼女はまだ、何も知らない。



2015.我サク独り祭り
020.忘れた頃の約束を