ねえ、貴方は幸せだった?
眉を下げて問うサクラにそうだな、幸せだよ。と告げれば困ったように笑ったサクラが目を伏せる。

「ごめんね。私が貴方の幸せを奪ってしまった。貴方が愛すべき人は"私"では無いのにね」

 笑っていたが泣いていた。
少し大きくなったお腹を摩りながら、笑っていた。



 ***



「妊娠……?」
「ああ、検査して分かった。もう三ヶ月に入る」

 木の葉の病院に一人で来いと呼び出され、綱手から投げられた言葉が理解できなかった。

「サクラは、知って……」
「さあ……少なくとも今のサクラは知らんだろう。記憶を失くす前はどうだか分からんが」

 恐らくサクラは知っていた。
だからこそ、無理をしてでも次ぎの医療忍者を育てようと必死だったのだ。
何故自分には言わなかったのか、若しくは言えなかったのか。

 多分、言わなかったのだ。 
互いに忙しかったのもあり、時間がうまく取れなかった。
それどころか顔をあわせれば喧嘩しかしていなかった。

 なんて、自分は愚かなのか。今となっては後悔しかない。


「どうする?」
「……どうする、とはなんだ」

 目の前の女は何を言っているのだ。
そう思い視線を合わせれば綱手は険しい顔をしていた。


「今のお前に、子供を愛せるのか」


 胸に突き刺さる鋭い言葉はナイフのようだ。
一度瞼を閉じて、浅く息をする。

「サクラと俺との子だ」
 例え記憶が無くとも、サクラと自分の間に宿った命。
どうして無下に出来ようか。

「サクラには、俺から話す」
「……そう、か」

 天井を見上げた綱手に、手間を掛けた。と述べ部屋を後にする。


「どんな事があっても、私はアンタ達を信じるよ」


 誰も居ない室内に静かに響く。
綱手の言葉は我愛羅にもサクラにも聞こえなかった。





「こ、ども……?」

 ぱちりと大きな瞳で見上げてくるサクラに静かに頷く。
真っ白い病室。
ベットに座りぼんやりと、外を眺めていたサクラに伝えた言葉は理解するのに少々時間が掛かったらしい。


「サクラ、」
「大丈夫、大丈夫よ」
 声を遮りサクラは眉を下げて笑う。

「私、貴方の奥さんなんでしょ? 大丈夫よ。貴方もこの子も愛するから」
 だから少しだけ、少しだけ時間を頂戴。

 我愛羅の右手をそっと、サクラは両手で包み込む。

「ごめんね」

 何度彼女に謝らせたのだろか。謝罪すべきは自分だというのに。

「サクラ」

 そっとサクラを優しく抱きしめれば、一瞬だけ身体を強張らせたが恐る恐る背に手を回される。

「我愛羅くん」

 いつもと違う少し控えめな、大人しい声色。
壊れぬように、少しだけ腕に力を入れる。

 記憶があろうが無かろうが今、目の前に居るのはサクラだ。
彼女が今まで積み上げてきたものが、するりと抜け落ちているのが悲しい。


「サクラ、愛してる」

 どんな姿になろうとも、記憶を失くしてしまおうとも。
サクラはサクラなのだから。



 ***



「いいなあ……」
 むすりと顔を歪めるサクラに、なんだ。と視線を向ける。
夕飯を食べるためテーブルの対面に座っていたサクラは、羨ましいと頬杖をしていた。

 記憶を失くしたサクラと共に砂隠に帰って半年。
随分とお腹が大きくなったサクラの記憶は未だ戻らない。


「だから、何がだ」
 目の前の肉を突きもぐもぐと租借する所に言われた言葉。眉間に皺を入れればサクラの少し元気の無い翡翠の瞳とかち合う。

「貴方に愛されてた私って」
 羨ましい。と再度言葉を紡ぐサクラに思わず瞬きを繰り返す。

「何で記憶失くしちゃったんだろう。馬鹿だなあ」
 サクラの言葉に口の中の物をゴクリと流し込む。

「サクラ、俺はお前を、」
 愛している。そう言おうとするが身を乗り出して、口元を押さえられてしまった。

「ふふ、駄目よ。浮気になっちゃう」
 貴方が愛した私を愛して。"私"は貴方を愛するけれど。

 なんて残酷で、なんてひどい我儘だろうか。
目尻を細めて笑うサクラに何も言えやしなかった。


 自分の中から"サクラ"が消えて、"サクラ"が存在するのが怖かった。
だからこそ彼女は言うのだ。貴方が愛した私を愛して、と。


 薄暗い寝室。
静かに眠るサクラの頬を撫で、流れる髪を耳に掛ける。

「サクラ」

 己は一体、どちらの彼女の名を呼んだのか。
それはもう、分からなかった。







 肌寒い。
そう思い布団を手に取り頭から被ろうとした瞬間、ばさりと剥ぎ取られてしまった。

「我愛羅くん! もう起きる時間でしょう!!」
「もう少し寝かせてくれ……」
「何言ってるのよ、朝ごはん作ったから早く起きる! ハンバーグよ!」

 相変わらず朝に弱いわよね。と言いながら部屋を出て行くサクラをぼんやりと眺めていたが、ハタリと意識を浮上させ慌てて追いかけた。

「サ、クラ!」
 居間へ向かうサクラの右腕をぐいっと掴めば、どうしたのよ。と輝くような瞳が見上げてくる。

「お前……」

 自分がどんな表情だったかなんて知らない。
どんなに情けなかったか知らない。ただ、サクラの声が、瞳がクスリクスリと笑っていた事に気がついた。


「浮気は駄目よってあれほど言ったのに、我愛羅くん駄目ね。そんな事じゃ悪い女に引っかかるわよ」
 いーっと歯を見せて笑うサクラに瞬きをして引き寄せる。

「サクラ」
「なーに」

 お腹に負担にならぬよう抱きしめて、肩口に顔を埋めて名前を呼ぶ。
ぽんぽん、と軽く叩くサクラの手がどこか懐かしく感じた。

「お前でも、浮気になるんだろうか……」
「んー、さあ?」
 わかんないわ。とカラカラ笑うサクラの頬を軽く抓れば、痛いわね! と返される。


「我愛羅くん」
 凛と響くサクラの声。
のろのろと身体を離し真正面からサクラを見る。


「どんな私でも愛してくれてありがとう」

 腕が伸び、背伸びをするサクラに少し屈めば、サクラの柔らかな唇が頬に落とされる。

「口じゃないのか……」
「贅沢言わない」

 瞬きをするサクラの瞳の奥が柔らかく笑うことに気がつき、思わず目尻を細めて笑う。


「サクラ、愛してる」
「ふふ、知ってるわ」

 今度は自ら、サクラの頬に口付けすればサクラが幸せそうに笑う。


 記憶と言う物は簡単に失くなりやすいが、ふとした瞬間に戻るのかも知れない。
今度は見失わぬようにしかと手を掴み共に歩んでいこう。


 サクラの作ったハンバーグが少し焦げて、何よりも旨かった。




たとえどんな事があったとしても
2014.11.09.リクエスト