闇に立ち尽くす孤独






 人は少しずつ、少しずつ変わっていくのだ。
 自分では変わりないと思っていも。

 我武者羅に。ただ我武者羅に。
 あの人達に追い付きたくて。置いていかれるのがただ怖くて。

 顔で笑っていても、内心、劣等感や嫉妬の塊でしかなかった。 
 一歩、近づいたと思えば、また一歩先に行ってしまう。
 どれだけ走っても追い付けなくて、どれだけ声を上げて叫んでも追い付けなくて。

 あの人達はきっと私が追い付くだろう。
 きっと側まで走って追い付く、そう思っているのだろう。

 そんなこと、できる訳がない。
 運が悪かった。ただそれだけだ。

 それでも必死で追い付こうとしている私は、傍から見るとなんて滑稽なんだろうか。


 はぁ、と深い溜息を付き目の前の扉をノックする。
「失礼します」
 室内の主の返事を聞く前にガチャリと扉を開け目の前の光景に違和感を覚えた。

「あれ? 風影様……一人ですか」
 火影室の客用椅子に座っていた砂隠れの里の長。
 風影こと我愛羅一人残されている光景に驚き室内を見渡した。

「ああ。約束をしていたんだがな。シズネ殿が探しに行かれた」
 腕を組んだまま座っている我愛羅に「なんか、すみません」と謝罪の言葉を述べる。

 少しの沈黙。
 頬を少しだけ掻く。

「あ、少し待っててください」
 当分戻ってきそうにない綱手様とシズネさん。
 このまま立ち去るわけにも行かず、火影室の近くにある簡易給湯室から客人用の
湯飲みにお茶を淹れる。抹茶の香りが鼻をくすぐった。


「どうぞ、お待たせしました」
「すまない」
 お盆から湯飲みをテーブルに静かに置き、にこりと笑って見せた。

 お茶に手をつけずにじっと見てくる我愛羅に首を傾げる。
「どうしました?」
「それはこちらの台詞だ」
 少し、ほんの少しだけ眉間に皺を寄せた我愛羅にサクラは何の事か分からなかった。


「お前、笑えていないぞ」

 静寂に響く我愛羅の声。
 サクラの表情はペタリと笑い顔が貼り付けられていた。

「そんな、気のせいですよ」
 サクラは否定をする。
 だが本人は気がついていなかった。

 歯を食いしばるような笑い顔が癖になったのは一体何時からなのか。
 笑顔を作るときに意識しないと出なくなったのは何時からか。
 笑っているはずなのに、まるで泣いている顔をしているなんてサクラ自身理解していなかった。

 じわりじわりと蝕まれる心。
 サクラ自身が気がつかないSOS。

「いつからだ」
「えっ?」
「一体何時からお前は心を閉ざした」
 サクラと同じ翡翠の瞳がサクラを捕らえて放さない。
 少しだけ拳を握り締め、息を吐く。

「何のことかしら? 心を閉ざしてなんて……」
「いないと言い切れるか? 今のお前は力を求め、力に飢えている。いつか大切なものを失うぞ」
 我愛羅の言葉に唇をきゅっと横に引く。

「私は……」
「何故、そこまで力を求める。お前ほどの知識と医療忍術の技術があれば……」
「知識があっても、医療忍術があっても護れ無いものは沢山ある!
必死に頑張っても追い付けなくて、皆がどんどん先に行ってしまう……!」
 思わず声を荒げるサクラに目を見開く我愛羅。
 苦しそうな顔で、我愛羅から視線を逸らし床に視線を落とした。
 サクラの右手が、左腕を掴んで爪を立てていた。

「惨めだ。どんなに頑張っても追い付けない。皆の背中を見ているしか出来ないっ。
自分の力が足りないのに、皆に嫉妬している! もっと強くならなきゃ誰も護れない、もっと……!!」

 ガタン!

 我愛羅が椅子から立ち上がり、机にぶつかる。
 その振動で一口も飲んでいない、お茶が湯飲みから零れてしまった。
 テーブルに広がるお茶は流れ落ち、床を濡らした。

 抹茶の香りだけが、静かな火影室を包む。
 

「止めろ。お前の手は傷つけるためにあるものじゃない」
 サクラの右手を掴む我愛羅。
 左腕からはサクラ自身が無意識に爪で傷つけた傷から血が流れ落ちていた。

 思いつめた表情のサクラは今にも崩れ落ちてしまいそうで、
我愛羅は少し悲しく思っていた。

「悩みや苦しみは人それぞれだ。傍から見て苦しんでいると分かる人間もいれば
お前みたいに隠して、隠して、隠し通そうとして潰れてしまう人間もいる」
 我愛羅の優しい声色に、少し視線をあげる。
 
「お前が求める力とは何だ。何かを傷つける力もあれば、誰かを護る力もある。
お前が望む力とは何だ。手に入れようとしている力とは何だ」
 右腕を掴まれたままのサクラ。我愛羅の言葉がじわりと心に響く。

「……あの時、何も出来なかった自分が嫌だった。大嫌いだった。
誰かに頼って、泣いて誰かに縋り付いて。そのせいで沢山の人が傷ついた。
傷つく仲間を見たくなくて、足手纏いになる自分が情けなくて、悔しくて」
 サスケ奪還に失敗したあの日。
いや、本当はもっと前から。それこそ中忍試験で、長かった髪の毛を切ったあの日から。

「護りたかった。傷ついて倒れていく仲間を助けたかった」

 純粋にそう願ったはずだ。
 だが、戦場に立てば助けられぬ仲間がいる。
 治せない病気があることも知っている。


 じわりと滲む視界に、サクラは涙が零れ落ちないように目を細めた。
 サクラの右腕を掴んだまま、我愛羅は左手を伸ばしサクラの目頭を親指で撫でた。

 はらりと零れる涙。
 一度零れてしまえば、次々と零れてしまった。

「が、我愛羅君……!」
 ハッと意識をしてしまえばなんて恥ずかしい光景だと思い思わず我愛羅の名を呼んだ。

「やっと、名を呼んだな」
 ふっと笑う我愛羅の顔に思わず息を呑んだ。

「あ、いや……」
「お前を必要としている人間は沢山居る。落ち着いて周りを見ろ。
俺を含めて、お前に助けられた奴等はどれだけいるんだろうな」


 孤独の中に迷い込んだのは自分自身。
 何も見えない暗闇に放り込まれた気がしていた。

 そう、只気がしていただけなのだ。
 実際のところ誰一人として私を置いて行こうとしていなかった。
 私が躓き、扱けてしまえば待ってくれる人達なのだ。






「いやー、悪いな我愛羅! ちょっと急用があってな!」
「どこが急用ですか、まったく……」
 ガチャリと開けられた扉。綱手とシズネが会話をしながら現れた。
「おや、サクラじゃないか。悪いねー我愛羅の相手してもらって」
「いえ、そんな」
 テーブルを挟んで対面に腰を下ろしていた我愛羅とサクラを見た。

「じゃぁ、綱手様も戻ってこられたので、私はこれで」
 綱手達と入れ替わりに部屋を出ようとゆっくりと椅子から立ち上がった。

「サクラ」

 扉を抜け、廊下に出て軽く頭を下げたサクラを呼び止めたのは我愛羅。
 気がつけばサクラの目の前に立っていた。
「話を聞くぐらいはしてやる。自分を見失うな」
 我愛羅の言葉に少しだけ目を見開き、自分より背の高い我愛羅を見た。
「ありがとう、我愛羅君。……ありがとう」

 少し歯を見せて笑ったサクラ。
 その表情を見た綱手は一瞬、息を浅く吸った。


「久々に、あの子のあんな笑顔を見たよ」
 サクラの背中を見送っていた我愛羅にニヤリと笑いながら綱手は言う。
「何だかんだで厳しいよ」
「……知っている。だが諦めるつもりは毛頭ない」
 我愛羅の瞳が揺れるように綱手を見ていた。



 闇に身を投げるのならその白い手を引いてやろう。
 何よりも大切にされ過ぎて、彼女が孤独を感じるならばその孤独を打ち破ってやろう。

 花のように笑う彼女が道に迷わぬよう、
隣に立つのが自らであればいいと、心の奥底で願った。



H25.7.20
拝借:空飛ぶ青い何か。