青春晩夏
じわり、じわりと蝕むような暑さ。
砂漠のそれとは違う気候に体がどうにかなりそうだ。
空に広がるのは満天の星空。
それを壊すようなザワザワと煩い喧騒。
何故こんなところに来なければならぬのか。頭が痛くなるような気がして溜息を一つ。
影の名を名乗る者として他国に出向き、視察はもちろん外交等で暫し里を離れる事もある。
接待として様々な所に案内される事も承知している。
今回乗り気だった上役達のお陰で、咽返るような華の香りに思わず眉間に皺を寄せた。
火の国、木の葉隠れの里から近いどの国にも属さない無法地帯。
各国の大名達が黙認している歓楽街が広がり一つの国と成している場所。
吉原遊郭。
侍が統治する鉄の国と同じように、忍達が決して手を出してはいけない場所。
独自の法の元に成り立つその国に、風の国、砂隠れの現風影である我愛羅は足を踏み入れていた。
「……俺は帰る」
いつも身に着けている影の笠ではなく、店で売っている被り傘を買わされたのはこの為か。
そう思いながら、目の前を悠々自適に歩み進める上役達に我愛羅は言葉を投げかけた。
「何を言っている。ここに来られる事なぞ早々ないぞ」
「そうだぞ、我愛羅。一度は経験しておくといい」
わはははと厭らしく笑う上役の面々。
心の中で、この変態爺共め。と思うが言葉には出さなかった。
「なあに、お前も女を知れば病み付きになる。それになあ、我愛羅。
わし等は心配なんじゃよ。影を名乗る者が女も知らん。そんなのではいずれ他里の影共に馬鹿にされる」
「そうだ、いずれはお前も嫁を娶るであろう。女を知らぬより知っておいて損はない。それに先代風影の血筋は残しておくべきだ」
にやにやと我愛羅に笑いかける上役達。それに多少イラついたが落ち着いた声で言葉を返す。
「……カンクロウが居る」
今現在、ここに居ない兄に血筋だの家族だの子供だの全て押し付けたいと思ったのは今回だけではない。
何処かの国の娘だとか大名の遠い親戚の娘だとか、見合い話が持ち上がる度にその全てをカンクロウに押し付けてきた。
「確かに、あ奴も先代の血筋だがそういう事ではない。風影としてのし上るほどの力を持っているお前自身の血筋を残せと言っているんだ」
目の前を歩く上役達に眉間に皺を寄せる我愛羅。拳を握り締め、ほんの少しだけ奥歯を噛んだ。
ザワザワと煩い喧騒に我愛羅は少なからず苛々していた。
切り立った岩の谷間に存在する隠れた遊郭である吉原。
女達は男を誘い、男達は金で女を買っている。
忍や侍、大名にどこぞの国の子息共。
ここ、吉原には各国から男が集まり、女が逃げてくる。
辺りを見れば、何処かの里の抜け忍で有ろう女が花魁の格好をしているのを見た。
ここに居る人物達は身売りをされたり、里から逃げたりしたと聞いたことがある。
女達の最後の逃げ場であり、男達の最高の癒しの場だと。
我愛羅は数回瞬きをして息を吐いた。
「おお着いた、着いた」
「此処か、あの大名が言っていた吉原一の遊郭は」
喜びの声を上げる上役達に呆れつつも、目の前の建物はまるで城の様な建物。
確かに立派だと思ってしまった。
ガラガラガラ
音を立て、店の引き戸を開ける上役達に目を細めまた一つ溜息を吐く。
「いらっしゃい」
扉を開ければ大きなカウンターに座る一人の女。
着物を着崩し、左肩を大きく出し煙管を手に持っていた。
「ん、あんた達見ない顔だね。初めてかい」
「紹介状を頂いてね」
上役の一人が、昼間顔合わせした大名からの紹介状を懐から取り出した。
「ふーん、ああこの大名さんだね。なんだい、じゃあいい女紹介するよ」
煙管を咥え紹介状流し読む受付の女は店の入り口に立ったままの我愛羅に気がついた。
「あの若いオニーサンもあんた等の連れなのかい?」
「おお、そうだ。なーに女っ気が全くなくてね」
「あまり乗り気じゃないんだが一度経験させてやろうと思ってな」
上役の言葉に我愛羅は露骨に嫌な顔を出して見せた。
「そうかい……オニーサンにいい娘いるよ。最近入ったばかりで、
とびっきり可愛いけど初々しいから殿方がリードしてあげなきゃいけなくてね。
オニーサンに一肌脱いでもらおうじゃないか」
にやりと真っ赤な口紅をした女が笑う。
我愛羅は蒸し暑いほどなのに何故だか寒気が体を襲う。
「俺は帰る」
くるりと踵を返し、今し方来た道を戻ろうとしたが、ガシリと首元の服を掴まれた。
「いい娘居るから寄っていきなよ、オニーサン」
鼻につく香水の匂いに我愛羅は眉間に皺を寄せていた。
じわりじわりと蝕むような暑さと、夜中だと言うのに聞こえてくる蝉の鳴き声。
先程まで雲ひとつなかった夜空が曇っていた。
→