ギイギイ

 歩けば聞こえる廊下が軋む音。
 渡り廊下を歩かされ、中庭に見える立派な庭園が灯篭によって明るく彩られてた。

「なーに、ただの酒飲み相手だよ。今から連れて行く娘はソウイウコトはしないんだよ」
 受付の女が直々に案内をするという。
 上役達が嬉々として別室に通されたのを見て、途中で逃げ出そうとしたが今目の前を歩いている女に制止された。
「はぁ……」
 気のない返事を返す。
 良かったのか悪かったのは不明だが、我愛羅は心の奥で安堵していた。

 雲が月明かりを遮断する。
 随分と歩かされると思ったところで女の足が止まった。

「ハル、お客さんだよ。晩酌だけでいいから相手をしてあげてやっておくれよ」
 中に居る人物に声を掛け、薄い障子を遠慮無しに開け放った女は「ごゆっくりどうぞ」と我愛羅の右肩をポンと軽く叩いて立ち去っていった。
 どうしようかと立ち尽くす我愛羅。
 部屋の中に居る人物が動き、近づいてくるのを理解する。

「……あれ、我愛羅君?」
 突如として名を呼ばれ心臓がドクリと主張する。
 うっすらと点いている部屋の明かり。

 目の前の女は腰まである真っ黒な髪に同じくらい真っ黒な瞳。
 そんな人物は見たことが無い。だが、何処かで聞いたことがある声。
 そして自らの事をその様に呼ぶのは同盟国の木の葉の忍ただ一人。

「……春野、サクラか」
 座ったままの目の前の人物。
 髪色も瞳の色も似ても似つかないが、よくよく見れば顔も同じで声も同じ。
 着物を崩して着ており、鎖骨が見え肩まで大きく開けていた。

「そうよ、え、我愛羅君どうしたの! こんな所で」
「それはこっちの台詞だ。何故お前がこんな所に居る」
 廊下から一歩も動かずその場でサクラに問う我愛羅に、座っていたサクラは腰を上げ立ち上がった。

「まぁまぁ、詳しい事は中で話すから」
 ごく自然に、流れるように我愛羅の右手を取り室内に招き入れるサクラ。
 サクラの少し冷えた掌が、今の我愛羅にとって心地良かった。

 我愛羅を部屋の中央に座らせ、障子を閉める。
 部屋に備え付けてある簡易保管庫から取り出したのは酒瓶。
「はい、どーぞ。お酌しますよ」
 我愛羅にお猪口を渡し、お酌をするサクラ。
 黒い髪に、黒い瞳が何処か知らない人間のような気がして我愛羅は何となく気まずく感じていた。
「……それにしても何故此処に」
 ぐいっと一口、酒に口を付けサクラに問う。
 全く知らない場所、しかも乗り気でなかった遊郭でまさか顔見知りと会うとは思っても居なかった。
 何処か安心したような気持ちと、場所が場所なだけに、聞くのは野暮だと思いながらも何となく事実を知りたかった自分がいる事に我愛羅は気がつかないフリをした。
「任務よ、任務」
 サラリと言うサクラの言葉に気が付かれない様に息を呑む。
「なんだ、売られたのかと思ったぞ。もしくは木の葉が嫌になって抜け出したのかと」
「ま! そんなこと無いわよ。それより我愛羅君こそ何で此処に居るの? 息抜き?」
 少しからかう様に言葉を紡ぐサクラに、盛大に溜息を吐いた。
「違う。無理やり連れて来られただけだ」
「あら、そうなの? 私はてっきり……」
 パチパチと瞬きをするサクラに我愛羅は顔を顰めた。
「そんな事をしている暇が有るなら、さっさと里に帰って溜まった仕事をする」
 胡坐を掻いていた我愛羅は右足の膝に肘を付き頬杖をしながらサクラに言う。

「それもそうね、我愛羅君らしい」
 くすくすと笑うサクラを見て、隣に座っていたサクラに無意識に左手が伸びていた。
「カツラか、これは……」
 我愛羅自身、何故腕を伸ばしたか分からず気が付いたときにはサクラの黒髪に触れていた。
 まるで誤魔化すようにサクラに問う。
「そうよ。暫く此処に居なきゃいけないからチャクラを使って変化するより
コンタクトとカツラを使って変装しましょうって事になったの」
 くすぐったそうに笑うサクラに我愛羅はぼんやりと見つめた。

 流れる黒い髪。いつものような明るい薄紅色ではない事に何となく落ち着かない。
 薄く点けられた橙色の明かりが、普段は決して見えないサクラの白い鎖骨を照らし出す。

 酒と場所がいけない。
 いつもサクラから香る爽やかな花の香りではなく、香水に包まれた刺激をする香り。
 明るく笑う表情も、明かりのせいで何処か儚く見えてしまう。
 目の前に居る人物は本当に晩酌だけで済んでいるのか。
 頭の中で駆け巡る勝手な想像に我愛羅は罪悪感と言うものを感じていた。

 体が熱いのは気のせいだ。
 頭の片隅で思いながら、注がれた酒を一気に飲み干していた。