シトシトと降る雨はまるで泣いているようだ。
 傘を差していた我愛羅は小さく溜息を吐く。どうしてこう上手くいかないのだろうかと。
一歩踏み出せばパシャリと水が我愛羅の足を濡らした。





 サクラに任務をさせぬと告げたあの日。
自宅へと帰った我愛羅は頭を抱える羽目になった。
 気配のない家の中。嫌な予感がして部屋中見回れば明かり一つ点いていない。
薄暗い部屋の中、リビングに向かえばテーブルの上に置いてある紙に意識が向かう。
ペラリと手に取りそこに書いてある文字を見て我愛羅は天井を見上げた。

『さくら このはにかえった』

 印鑑を押すように丸っこい手形に守鶴が書き残したメモと認識する。
 ダンッ! と音を立てテーブルにメモを叩きつけるように片手を突いて額を押さえた。
眉間に皺を寄せ、目を細めた我愛羅は無性に叫びたくなった。

 こんな書置き残す前にサクラが木の葉に帰るのを止めろ! と。
 
 ぐしゃりと手元で音を立てたメモ紙。我愛羅はそのまま握りつぶすと目を細めその場に座り込んで項垂れた。
サクラに触れ、サクラの声を聞きたかった。
冷静になってこれからの事を話したかった。
 ざわりと揺れる我愛羅の瞳の奥には燃える様な感情が渦巻く。

 このまま逃がしてなるものか。

 サクラを追う理由なんて色々あったが結局の所逃げられるのが怖かったのだ。
 


 ***




 正規訪問ではない我愛羅の突然の訪問に木の葉の忍は別段驚かなかった。

「よく来たね、お疲れさん」
 そう言葉を発したのは五代目火影でサクラの師である綱手。
木の葉の里に訪ねてきた我愛羅とテマリを執務室ではなく、客室へと招きいれた。

「昨日の夕方、サクラが砂の守鶴と共に突然里に帰ってきたよ」
「……迷惑をかけた」
「なに、久々に可愛い愛弟子の顔を見れたからいいさ」
 机を挟んで椅子に座り足を組んだ綱手は豪快に笑った。

「ところで、サクラは今何処に?」
 テマリの問いに綱手は湯飲みのお茶を一口飲んだ。
「今シズネが呼びに行ってるよ。時期こちらに来るだろう。
それにしても夫婦喧嘩かい、珍しいじゃないか」
 綱手の視線に苦虫を噛み潰したような表情を見せた我愛羅は「ああ」と短く答えた。

「夫婦というのは難しいな」
「……なんだもう音を上げるのか」
「まさか」
 呟くような我愛羅の台詞。綱手のからかう様な言葉に我愛羅は何を言っている。と綱手を見た。

「まぁ、私も分からんよ夫婦生活だなんて。だが、そうかもうサクラもそんな事で悩む歳なんだねぇ」
 しみじみという綱手に「まるで親のようだな」とテマリは内心思い、サクラと綱手の絆を見た気がした。

 ふと、何かが近づいてくる気配。
 湯飲みを片手に持っていた綱手は片方の眉を吊り上げた。


「我愛羅じゃねーか! お前何してんだよこんな所で!」
「久々だな」

 屋根を伝い窓から姿を現したのはナルトとサスケ。
 二人の姿を目にした綱手は更に眉間に皺を入れ「面倒くさいのがきた」と呟いた。
「久々だな」
「おう! それよりいいのか昨日サクラちゃん帰ってきてたぞ」
「ナルトやめておけ、どうせサクラを怒らせたんだろう……」
 窓から不躾に客室に入る二人。
 サスケの言葉に一瞬室内がヒヤリと冷えたが、綱手が業とらしく音を立て湯飲みを置けばその雰囲気は四散した。

「お前達何しにきた、任務は終わったのか」
「おー! バッチリだってばよ! サイと木の葉丸が報告書書いてるってばよ!」
「それはお前達が木の葉丸に指導するはずだろうが!」
「だってばーちゃん、そんなの俺もサスケもできねーよ!」
「……適材適所だ」

 言い訳がましい二人の言葉にひくりと口元を歪ませ綱手は二人に鉄拳制裁を加えた。
 ガコン! と鈍い音がして二人とも頭を押さえ込む。

「だからお前達はいつまで経っても成長せんのだ!!」
「いってー!! なにも殴る事ねーじゃん!」
「っ……」
 涙目になりながら綱手に食って掛かるナルトと頭を押さえているだけのサスケ。
 そのやり取りを見ながら我愛羅は相変わらず騒がしい奴等だ。とお茶を啜った。
 


「綱手様、何騒いでるんですか」
 ガチャリと無遠慮に開かれた扉の音。そこには先ほどサクラの迎えを命じられたシズネが扉から顔を覗かせた。
「シズネ……ん、サクラはどうした」
 姿を現したのはシズネとトントンのみ。
 サクラの姿が見えないことに綱手は疑問を投げかける。
 
「それが、サクラの家まで行ったんですが……」
「どうした」
 言い淀むシズネに続きを促せる。
「サクラの部屋の扉の前に守鶴が居て……通してもらおうものなら食って殺されそうで」
 まるで門番ですよあれは。とシズネが首を振り肩をすくめるとシズネの腕の中でトントンは鳴いていた。

「だとよ我愛羅。どうする」
 シズネの言葉を聴いたテマリが我愛羅を見れば一度天井を見て、ゆらりと立ち上がる。

「直接行ってくる」
 少しだけ、普段より低い声色。それを聞いてテマリが目を細め「行ってらっしゃい」とだけ言えば砂塵が舞いあっという間に消えてしまった。
 

 

 

「なんだか、以外ですね。あの二人がこんな喧嘩だなんて……」
 部屋に少し残る砂の粒子を見ながらシズネは呟いた。
 椅子にボスリと座った綱手は頭をガリガリと掻いて背凭れに肘を乗せて窓から見える空を眺めた。
先程よりも強くなる雨は一体誰が鳴いているんだろうね、と綱手は心の内で考えた。


「……影の妻となる立場は総じて任務にも出なければ表舞台に顔を出す事もそう少ない。
何故だかわかるか。命を狙われる危険がある。それは一国を揺るがすほどの火種となる」

 影という立場を背負う綱手には我愛羅の気持ちも痛いほどに理解できたし、実際に身近で見てきたから知っている。
初代火影の妻であり綱手の祖母である「うずまきミト」もまたそうであったからだ。
 まぁ、祖母の場合は更に人柱力という存在だったのも大きいだろうと綱手は結論付ける。

「では、サクラを砂に出したのは間違いだったと言うんですか…」
 妹弟子であるサクラの暗く落ち込んだ表情を思い出してシズネは綱手に投げかけた。

「間違いかどうかだなんて私たちが言う事ではないし、決める事ではない。
だけど夫婦って言うのは互いに悩んで躓いて、喧嘩しながら成長していくもんだろう。
最初から全てが上手くいくなんてことは無いさ」
 少しだけ、ほんの少しだけ寂しそうな表情をしたのをシズネは見逃さなかった。



 



 シトリシトリと降っていた雨はいつしか叩きつけるつけるように激しくなる。
少しだけ濡れた服を叩き首を振る。
遠慮なくサクラの実家に顔を出せば、サクラの両親は不在だった。
 靴を脱ぎ捨て薄暗い部屋に足を踏み入れれば、そこはサクラが子供の頃から育ってきた空間。
何度も訪れた事のある我愛羅は迷い無くサクラの部屋の前まで足を勧めた。

「そこをどけ」
 扉の前で鎮座している狸を見下ろせば「随分と遅かったなぁ」とクツクツと笑う。
その笑い声が廊下に響いた。

「随分とサクラに甘いんだな」
「何言ってやがる、お前ほどじゃねぇよ」
 更に大きな声で笑う守鶴に我愛羅は自覚があるから性質が悪いと溜息を吐く。

「三匹」
「……」
「此処にくるまでに三匹。思ったよりもお嬢狙われているぞ」
 その言葉にガリガリと首の付け根を掻いて我愛羅は視線をあげた。

「そちらは任せた」
「これは貸しだぜ。今度温泉にでも連れて行け」
「……考えておこう」
 守鶴が消えるのを見届けて、我愛羅はが目の前のドアノブに手を伸ばせば思いのほかすんなりと扉が音を立てて開いてしまった。

 薄暗い部屋の中。 
ベットに入り布団を頭から被り山のようになっている存在に少しだけ目を見開いた。
これでも我愛羅としては内心怒っていたし、なんだったら怒鳴ってしまうのではないかと思っていたほどだったが、
布団の山から「すん」と聞こえた声にどうしようもない感情が胸に降りてきてしまった。
 

 我愛羅は結局、守鶴が言った様にサクラに甘いのだと自覚する。