陽が沈みかけ、里内がオレンジ色に染まる時間。
人通りが少ない路地に入り、古びた建物の前でサクラは立ち止まった。
「ここ……?」
昼間、我愛羅から呼び出されたサクラは恐る恐る重々しい扉を開けた。
「いらっしゃい」
薄暗い室内。
サクラは聞こえた声に視線を向ける。
「あの、ここは……」
入ってすぐのカウンター。
椅子に腰掛けていたのは小さいと形容するのがわかり易い老婆。
煙管を手に持ちふーっと口から煙を吐き出した。
「ん、ここは初めてかい」
少ししゃがれた声で話す老婆にサクラはコクリと頷いた。
「ホール? 舞台みたいな……」
ぐるりと見渡せば中央に設置されている舞台。
その周りを囲むように置かれているテーブルと椅子。
「娯楽場だよ、あの舞台で踊ったり歌ったり、偶に劇があったりね」
「へー……」
木の葉とは違う酒場の趣向にサクラは文化の違いを感じた。
誰も居ない舞台を見ている人は勿論いるはずも無い。
サクラは客が自分ひとりだと理解する。
「あの、まだお店ってやってないんですか?」
「ああ……基本夜からだからね。あと一時間は営業しないよ」
老婆は、よいしょ。と言い椅子から降りればサクラの前にちょこんと立った。
「あんたの事は聞いてるよ、こっちにおいで」
「え、」
煙管を口に咥えサクサクと歩き出す老婆にサクラは慌てて追いかけた。
「聞いているって……」
誰からなのか。そう問おうとすれば老婆がにひひと笑う。
「あんたを呼んだ男さね。まったくいつまでも餓鬼だ餓鬼だと思っていたが隅に置けないねぇ」
「あ、いや。彼とはなにも……」
ほんのりと頬を染めるサクラに老婆は目を細めて笑う。
「にひひ、結構、結構。それにしても別嬪さんをよう連れて来た」
もう一度にひひと笑う老婆にサクラは、あぅ。と唸っただけで何も言い返せなかった。
地下へと続く階段を下りる老婆に言葉無く続くサクラは周りを見渡す。
地上とは違う頑丈な造りの壁。そして人気の無い場所。
密会をするのにはもってこいの場所だとサクラは理解する。
「着いたよ」
いつの間にか階段を降りきれば、いくつかある煌びやかな扉。
蝶や華などが装飾された頑丈な扉を開ければ目の前に広がる光景にサクラは息を呑む。
「綺麗……」
何処からか降り注ぐ太陽の明かり。
目の前に広がるオアシスを夕暮れ時の太陽がオレンジ色へと染めていた。
「ここは地下オアシスさ。一般人じゃ滅多に入ってこれない所さね」
どうだい、綺麗だろう。としたりと笑う老婆にサクラは思わず何度も頷いた。
「砂漠に広がる楽園みたい……」
室内に足を踏み入れオアシスへと続く窓をカラリと開ける。
砂漠地帯とは思えぬ涼しい風がサクラの頬を撫でていく。
ひらりと目の前を舞う蝶々にサクラは視線を向けた。
「おい」
背後から聞こえた無機質な声。
振り返れば仏頂面をぶら下げていた我愛羅の姿があった。
「おや、おや……遅かったじゃないか」
「仕方が無い。どこぞの上役が馬鹿で手に負えん」
現れて早々暴言を吐く我愛羅にサクラは目を丸くするが、老婆は気にした様子も無く笑い出した。
「聞かれたらどうするんだい」
「アンタが言わなければ済む事だ」
我愛羅の言葉にそりゃそうだ。ともう一度笑いなが老婆は我愛羅を室内に促した。
「料理は後で運んでくるから好きに飲んでな」
「言われなくともそうする」
老婆の言葉に我愛羅が答えれば、可愛くない餓鬼だね。と笑いながら老婆が部屋を出て行ってしまった。
二人のやり取りを呆然と見ていたサクラは二度、瞬きをした。
「どうした?」
「あ、いや……」
ふるふる。と首を振るサクラに我愛羅は首を傾げ室内に入り備え付けの冷蔵庫を開け、ビールでいいかとサクラに問う。
「あ、うん……」
サクラの返事を聞く前に手には冷えたグラスを持ちビールの瓶を持っていた我愛羅は座敷に座りコトリとグラスを置いた。
その様子をなんとも知れない気持ちで見ていたサクラが頬を掻けば、我愛羅は何をしている。と手招きをして向かえに座らせた。
「わざわざ呼び出すぐらいだもの、そんなに重要な話?」
腰を下ろしながらサクラが問えば、まぁな。と我愛羅が呟く。
コトリと目の前に置かれたグラス。
じゅわじゅわとビールの泡が弾けるのをぼんやりと眺めてふと気が付く。
二人しかいない空間。
オレンジ色に染まっていた地下のオアシスはいつの間にか闇に染まっていた。
何処からとも無くきらきらと差し込む月明かり。
遠くで聞こえる水の音が室内に響き渡り、サクラは膝の上に乗せていた掌を思わず握り締めていた。
「サクラ」
我愛羅の声にサクラの肩がピクリと揺れる。
ゆっくりと視線を上げれば我愛羅の新緑のような瞳がじっとサクラを見つめていた。
「な、なに……」
射抜かれるような瞳にサクラは少々脅えながら我愛羅に問いかける。
「すまんが、明後日お前に俺と共に任務に同行してもらいた」
目を伏せて答える我愛羅にサクラは目じりがピクリと動く。
「どういう了見よ……」
指先に力が入り、サクラは自分の膝を少し撫でる。
怪訝な表情を見せるサクラに我愛羅は小さく息を吐いた。
「例の病の件だ。お前の言うように研究員の二人に内通者がいた事と、
もう一人実行犯の目星もついた。その実行犯が今まで以上の行動を起こすのが明後日が濃厚だと考えられる」
我愛羅の言葉にサクラはゆっくりと机に視線を向ける。
「誰?」
「ん、なにがだ」
「……内通者よ」
今まで自分が教えてきた技術がやはりこんな形で砂隠れに脅威を及ぼしているのかと思えば、サクラは遣る瀬無い気持ちに苛まれた。
「マツリと共にお前とよく話していた女二人だ」
「あの子達が……」
どこか思い当たる節があったのか。項垂れるように頭を下げればサクラの髪がさらりと流れる。
「こちらも気がつけなかった」
「……ううん。我愛羅くんのせいじゃないわ」
項垂れるサクラに謝罪をすればサクラは首を振る。
腕を組んだ我愛羅が息を吐くとサクラは、何故明後日なのかと問いかけた。
「ああ、大名の奥方とその娘が祭りを見学に来るそうだ」
「見学?」
コトリと首を傾げるサクラに我愛羅が頷き、眉間に皺を寄せた。
「それが厄介な大名達でな。今回も都で開催されなかったのはその大名の一族内部でいざこざがあったんだが……
どう言う訳か突然祭りに顔を出すと伝書が届いた」
全く迷惑でしかない。我愛羅の言葉にサクラは瞼をぱちぱちと動かした。
「我愛羅くんって、何気に口悪いわよね……」
「……いつも諂えてばかりだと疲れてたまらん」
肩を竦める我愛羅にそれもそうね、とサクラは笑う。
「まあ、それはいいとしてだ。例の刺された子供からの話と暗部からの情報でまず間違いないだろう。
犯人の狙いは砂隠れ、と言うより風の国の衰退だな。そして明後日顔を出す大名の娘の抹消。この二つが狙いだ。
大名の娘が祭りに顔を出した際に今回のウィルスを撒き放つ可能性が高い」
そこまで聞いたサクラは、分かったわ。と頷いた。
「そこでウィルスを放つのを阻止、もしくは放たれたウィルスの駆除と言うわけね」
どれだけ製薬が追い付くだろうか。
頭の中で考えたが明確な答えは出ない。やるだけやるしかないか。と鼻息を荒くした。
「サクラ」
どこか改まったような声色。
考えないふりを、気が付かないふりをしていたサクラの肩がビクリと震える。
奥歯がカチリと音を立てたのを理解する。
我愛羅の目を見ないように恐る恐る視線を上げサクラは我愛羅の首筋に視線を持ち上げれば
瞳に映るのは我愛羅の喉仏。
ゆったりとした服の隙間から見える我愛羅の肌にサクラの心臓がドキリと跳ねた。
「な、何かしら……」
カラカラと乾いた喉に気がついたサクラは、自分がどれだけ緊張しているのか改めて知る。
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