名を呼べばきょとりとした翡翠の瞳が自分を見ることに心が震えた。
紅い唇が己の名を呼ぶことに歓喜した。
風が吹くたび揺れる薄紅色の髪がただ、ただ綺麗だと思えた。

 いつからそう思っていたかは知らない。
だが、きっと随分と前から焦がれていたのかもしれない。

 風が吹く満月の夜。
我愛羅は里が一望できる場所からぼんやりと考えていた。


 もし、サクラに手を出したことがナルとサスケにバレてしまったらまずいな、と考える。

「殺されるかもしれん……」

 純粋で、純粋すぎて何も知らぬ女が眩しい。
眩しすぎて涙が出るほど焦がれている。

 すっと静かに立ち上がり我愛羅は暗闇に浮かぶ満月を見る。
ざわりと疼く心臓にゆっくりと瞬きをする。


 ビュウウと風が一度強く吹けば、その場に我愛羅の姿は無かった。



 ***


 満月の明かりが綺麗だな。
綱手に中間報告として報告書を作成していたサクラは筆を止め、ぼんやりと満月を眺める。

 風呂に入り明日の仕度も済ませていたサクラはこれを書き上げたら寝てしまおう。
ピタリと止まった筆を机に置き、頬杖をしてポツリと呟いた。

「何してるかな……」
 誰が、だなんて名前は出さなかったが頭に過ぎる人物の事を考えればサクラは溜息を吐く。

 サクラが我愛羅と大名の子供である少女の関係を知るはずも無いし、どういう関係かも正直言えば知りたくも無い。
だが、どうみても少女は我愛羅に好意を寄せているし我愛羅も少女の事を大事にしている。

 少女と言えど女は女。嫉妬するなと言うほうが無理だというもの。
我愛羅の事に関して知らぬことが多いサクラはただモヤモヤするだけ。
更に輪をかけ、地下のオアシスで想いを告げられたもののそれから何も無いのだ。

 冗談を言うような人物ではないと思っている。
だがこうも何も無ければ、ただの気の迷いだったのかとも思ってしまうのは仕方が無いというもの。

 はぁ、と溜息を吐き机にへたりと頬を当てればひんやりとして気持ちが良かった。

「嫌だなー」
 目を閉じてサクラは考える。
サスケに恋焦がれていたあの時は嫉妬なんてしたこと無かった。
それはなぜか理解している。当時サスケが特別視していた女の子がいなかったからだ。

「ううー……」
 問い詰めたい。我愛羅に問い詰めて聞き出したい。
だけど付き合っているわけでもない、そもそも自分がはっきりしていないのも一つの要因だ。

 何も考えずに言えてしまえたら。

 うう、と唸るように考えるサクラが机から頬を離し、とりあえず寝よう。そう思った瞬間、部屋の扉をコンコンとノックする音が聞こえた。

「いったい誰よ、こんな時間に……」
 夜も更け満月が輝く時間だ。
サクラはクナイを忍ばせほんの少し部屋の扉を開けた。

「はい……」
 誰だいったい、そんな思いで怪訝な表情を浮かべていたサクラは目の前の人物に驚いた。

「すまん、こんな時間に」
「我愛羅くん! どうしたのよ……」

 驚き扉を開ければ目の前に我愛羅の姿。
思わずサクラはキョロキョロと宿の廊下を見渡して我愛羅を室内に入れる。

「こんな所誰かに見られたらどうするの……?」
 我愛羅くんって意外とそういう所ズボラよねぇ。とサクラは言うがそれに対して返事は無い。
不思議に思ったサクラが振り向けば出入り口で立ち尽くす我愛羅にどうしたの? と首を傾げた。


「うわ!」

 ガシリと突然腕を引かれ抱きしめられる。
何が起こったか一瞬理解できずにサクラが声を上げるがそんなのはお構い無しに我愛羅はサクラの肩口に顔を埋めた。


「……サクラの匂いがする」
 風呂に入ったのであろう、サクラの匂いと共に鼻腔を擽る石鹸の香りもする。
我愛羅がそんな事を考えながらスンスンと匂いを嗅いでいれば我愛羅の腕の中でサクラが身じろいだ。

「が、我愛羅くん、ちょっと……!」
 サクラとしては突然部屋にやってきて、突然抱きしめられて匂いを嗅がれるなんて堪ったもんじゃなかった。
顔を真っ赤にしながら我愛羅の肩を押せば我愛羅の新緑の瞳が揺れ動いた。


「サクラ」
 名を呼ばれ、サクラは泣きそうな表情を浮かべる。

「我愛羅くん、私……」
「ん?」
 泣きそうなサクラの目尻を我愛羅の親指がザラリと掠める。
我愛羅の瞳を見ると駄目だった。サクラは我愛羅の腕を掴み震える声で告げる。


「私、我愛羅くんが好きなのよ……」

 か細く今にも消え入りそうな声。
思わず頭を下げたサクラを見れば、髪の毛の隙間から見えた耳が真っ赤に染まっていた。


「ああ、知ってる」

 優しく目を細め笑う我愛羅に、体が熱くなりすぎてすぎて爆発するのではないかとサクラは思ってしまった。



 ***


 薄暗い部屋。
ベットにサクラを寝転ばせ、見下ろす我愛羅の新緑の瞳は月の光が反射してゆらゆらと揺れる。
 サクラは破裂するのではないかと思うほど煩く高鳴る心臓にどうしていいかわからず胸元で両拳を握り締めた。

 
 腰を下ろしていた我愛羅が動けばギシリと響く鈍い音。
我愛羅の熱い指先がサクラの目尻を撫で頬に触れ、親指が右の耳朶に触れた。

「ぁ……」

 顔を赤くし我愛羅を見上げたサクラは思わず言葉に詰まってしまう。
思いの外、我愛羅の瞳の奥に雄を感じ眉を下げてしまった。

「木の葉に帰したくないんだが」
「ぇ……えっ……と」

 視線を彷徨わせどうすればいいかわからずぎゅっと目を閉じれば我愛羅の親指がやわやわとサクラの唇を撫でれば
ビクリと肩が震えたサクラに少しだけ笑って、我愛羅はサクラの口に自らの唇を重ね合わせた。
 
 ふにりと合わさる感触。
更に瞼に力を入れ、啄ばむ様な我愛羅の口付けにどうすればいいかわからず体を硬直させていた。
 合わさる唇に呼吸が出来ず我愛羅の肩を叩けば、名残惜しそうに離れていく我愛羅に暗がりでも分かるほどサクラは顔を紅く染め上げる。

「サクラ」
「はい!」

 名を呼ばれ思わず声が裏がえったサクラに我愛羅はくしゃりと笑う。

「そんなに笑わなくてもいいでしょ……!」
 失礼しちゃうわ! と拳を上げれば手首を掴まれてのひらを解かされる。
解かれたてのひらに我愛羅が手を合わせ、握られれば思いの外大きなてのひらにサクラは男と女の違いを見た気がした。


「サクラ、抱きたい」


 落とされた直球の言葉にサクラは思わず息が止まる。
ぎゅっと目を瞑り、意を決したサクラが瞼を持ち上げれば翡翠の瞳が涙で濡れた。

「や……優しく、してね」

 頬を染め眉を下げて見上げるサクラに我愛羅は、うっ、と言葉に詰まる。

(優しくできないかもしれない……)

 我愛羅の葛藤は露知らず。
サクラはただただ、頬を真っ赤に染め上げた。


 キラキラと輝く満月が優しく砂隠れの里を照らしている。
まるで母のような優しい光が穏やかに見守っていた。