同じ方向を見て、同じ視線で、同じ物を映し出していたのなら。
たがう事は無かったのだろうか。

 もう後戻り出来ない事を知っていた筈なのに、互いに知らぬふりをしてきた。
少しずつ動き出した歯車はもう、戻らない。



3:とても、とても大切な



 遠くで聞こえてくるような居酒屋の騒ぎ声。 
呼び止められたサクラはハタリと気がつく。


「ナルト! アンタ怪我してんじゃない……!」

 淡く燈された明かりに照らされたナルトの姿に、眉を吊り上げた。
忍び装束はボロボロになり、顔には擦り傷や切り傷だらけ。

 近づこうと一歩、足を踏み出したサクラの右腕に触れようとナルトが手を伸ばした。
ナルトの指先がサクラの腕を僅かに掠めたが、触れる事はできなかった。

「わっ!」

 サクラの驚くような声。
背後から肩を抱き寄せられたサクラは目を見開いた。


「……我愛羅」

 サクラを引き寄せた我愛羅を苦々しい表情でナルトは見つめた。

「何をしている」
「え、え?」

 頭上から聞こえる声にサクラは瞬きをし、顔を上に向ける。
目を細めてナルトを見る我愛羅が居た。

 ヒヤリと冷える空気。
初夏の生温い風が、サクラは何故だか妙に冷たく感じた。



「やっぱり、あの時力尽くでも止めとくべきだった」

 冷たく響くナルトの声。
恐る恐るナルトを見れば鈍く光る、青の瞳。

 小さく息を呑んだサクラの腰を抱き寄せ、少し乱暴に抱えたと同時に我愛羅は地から足を離す。

「ぅわっ!」

 ふわりと浮く感覚に声を上げたのはサクラ。
サクラを腕に抱えた我愛羅の頬を青白い、鋭く尖った風の手裏剣が切った。
 放たれたその風の塊は宙で弾け消えていく。

「っ、ナルト……!」

 驚くサクラとは裏腹に、我愛羅は冷静にサクラを抱えたまま民家の屋根を伝っていく。


「我愛羅ー!!!」

 夜に響くナルトの声。
疎らに行き交う里の人々は何事かと顔を上げ、暗い空を見上げていた。


「我愛羅くん待って! ナルトが!」
「アイツは今冷静じゃない」

 我愛羅の胸に手を添え止まるよう促すが、我愛羅は止まらず駆け抜ける。

「何処に!」
「街中から離れる、このままでは被害が出る」

 ナルトを一瞥し、我愛羅は里の中から離れるため演習場へと走り抜けた。

「サクラ、家は」
「え」
「後で行く」

 サクラを下ろし、家に帰っていろと我愛羅が言えば、私も話がしたい! と我愛羅に詰め寄った。

「ナルトは意味もなく誰かを傷つけるような事はしないわよ!」
「それぐらい知っている」
「だったら……!」

 言葉尻を窄め、サクラは地面を見る。
こうなってしまったのは、キチンとナルトと向き合わなかったからだ。
話す機会はいつでもあった。
だけど話さなかった、向き合ってこなかった。互いに見て見ぬふりをしてきた。

「我愛羅くん、私は」

 地面を見つめ、そのまま何も言えなかったサクラは拳を握り締める事しかできなかった。





 ビュウウと風がひと吹き。
頬を撫でると同時に飛んでくる閃光。
 微動だにしない我愛羅を護る為、砂が盾を作り出し、
我愛羅の目前で盾になった砂と、風の塊が摩擦を起こし弾け飛ぶ。

 木々に囲まれた演習場。
拓けた場所に立っていた我愛羅の頭上から飛び掛る気配が一つ。
 足の裏に微量のチャクラを溜め後方に飛べば、背後から襲い掛かってくる二つの影。
地面に足が着く前に上半身を捻り右手を突き出し、二つの影の一つを砂で拘束する。

「うぐっ!」
 声を上げたそれは、ボン! と音を立て消えてしまう。
地に足が着いていない少し浮いた状態の我愛羅を目掛け、もう一つの影が回し蹴りをする。
その影の足が触れるか、触れないかのところで地面から大量の砂が噴出しもう一つの影も飲み込んでしまった。

 さらさらと舞う砂を風が切り裂き、ガキン! と刃物がぶつかり合う音が辺りに響く。

 ざわざわと風に揺れる木々。
互いに込めた力が押し合いギリギリとクナイが刃こぼれを起こす。


「サクラちゃんは何処だ」


 闇に聞こえたのはナルトの唸るような声。
青い瞳は闇に染まり酷く濁って見えていた。


「サクラはここにはいない」

 ナルトとは裏腹に冷静な我愛羅の声。
互いにクナイを弾き飛ばせば、空を舞って地面にザクリと突き刺さる。

 生温い風が木の葉を揺らしざわざわと騒ぎ立てた。
酷く煩い。
そう感じた我愛羅が少し目元を開けば、ナルトの足元からから木の枝が突如として現れる。

「うぐ!」
「はっ!」

 伸びた木の枝はナルトの身体に撒きつき腕を背中で拘束した。

「何すんだ! ヤマト隊長!」
 吠えるようにナルトが叫ぶ。
薄暗い演習場に、ナルトの叫び声が虚しく響いた。

「何をしているんだはこっちのセリフだよ! 風影相手になんてことをしているんだ!」
 それは木の葉の暗部であり、カカシ不在時に第七班の隊長を代理で勤めたヤマトの声。
サイが墨で描いた鳥の背に乗り印を結んでいた。


「風影だのそんなの関係ねぇよ……!」
 拘束され身動きが取れないナルトは奥歯を噛締め我愛羅を見る。
力尽くで拘束を解こうとするのを見て、ヤマトは更に強固に縛りつけた。


「ナルト、我愛羅一体何をしている!」
 

 ジャリ、と砂を踏みつけ姿を見せたのは火影である綱手。
火影まで出てきた事に我愛羅は小さく息を吐いた。

「バーちゃん! 解いてくれ!」
「ナルト、」
「俺は我愛羅を……」
「里内で螺旋手裏剣を使ったな」
「殴らねぇと気が済まねぇ!!」

「いい加減にせんか、馬鹿者が!!」

 ナルトの唸り声を掻き消した綱手の怒鳴り声。
同時に硬く握り締めた拳を振り下ろし、ゴツリと鈍い音が響くほどの力でナルトを殴り飛ばしてしまった。

「つ、綱手様……!」
 瞠目するヤマトを見向きもせず、衝撃で気を失い倒れてしまったナルトの胸倉を掴んだ綱手は「牢にぶち込んでろ!!」と言い放つ。

「承知しました」
 頭上から聞こえた声に我愛羅が顔をあげれば、そこには墨で描いた鳥に乗るサイの姿。
黒い忍び装束が闇に溶けていた。
 にこにこと笑いながらナルトの腕にチャクラを封じる札を貼り、よいしょとナルトを背に抱えたサイが一段と笑いながら我愛羅を見た。

「……なにか、言いたそうだな」
「いいえ。ただ、ナルトの気持ちも分かるかな、って……思っただけですよ」

 ぺたりと笑い顔を貼り付けたサイの表情に我愛羅は思わず顔を顰めていた。
「我愛羅」
 ナルトを連れて行くサイとヤマトを見送る綱手は我愛羅に背を向けたまま腕を組む。

「お前は、友を裏切ってまであの子を連れて行けるのか」

 それは、ずっと心の奥で知らぬふりをしてきた問い。
連れて行けるのか、ではなく連れて行きたい。そう思ってしまったからこそ我愛羅はナルトに正面から話したかった。


「……殴られる覚悟はあったんだがな」
「ふっ……最悪病院送りかもしれないよ」
 あっはははは、と豪快に笑う綱手に我愛羅は視線を逸らして地面に突き刺さっている二本のクナイを見れば、刃が闇に鈍く輝いていた。



 ***


 結局、綱手からこってりと絞られた我愛羅が演習場から離れたのはもう随分と時間が経ってから。
日を跨いだ里内に人の姿は極端に少ない。
 砂漠とは違う夏の生温い風に我愛羅は胸元を少しだけ緩めた。
人目を避け、目的のアパートに向かえば教えられた室内の明かりは点いていなかった。

「……いないのか」

 こんな時間に何処に行ったのであろうか。
屋根を伝い、ベランダに忍込み窓の戸をゆっくりと引く。
窓の鍵を開けていると別れ際確かに言っていたが、不在となると無用心すぎる事この上ない。

 薄暗い室内に目を凝らせば、はじめて見るサクラの部屋。
辺りを見渡せば窓際に、古びたうさぎのぬいぐるみが鎮座している。
じっと見られている感じがして我愛羅がそのうさぎのぬいぐるみの腹の辺りを撫でれば思いの外ふかふかしていて弾力があった。
 ふう、と息を吐き部屋の明かりを点ければ淡い光が室内を照らす。
ふと、机の上を見れば大切に額縁に入り飾られていた写真が目に留まった。

 ナルトとサスケ、そしてカカシにサクラが映っていた。

「サクラ……」

 悔しいわけではない。ナルトとサクラの間に入れぬ絆がある事は重々承知している。
嫉妬しているわけではない。

 ただほんの少しの歯痒さが、心の中に落ちていく。