ひたりと頬に当たる冷たい感触。
うう、と唸りゆっくりと瞼を開ければ蝋燭の明かりだけが色付いている。

 二回、瞬きをして寝転んでいた身体をゆっくりと起こしその場に座る。
背中に回された腕が拘束されているのがもどかしくて眉を吊り上げた。

「くそっ……バーチャンめ」

 殴られた衝撃で気を失っていたナルトは肌寒さを覚え辺りを見渡す。
どうやら地下牢にぶち込まれたらしいと今の状況を理解すれば、項垂れるしかなかった。

 呼びたかった名前を口の中で呟けば、じわりと目頭が熱くなる。
どうすればいいのだろうか。どうすれば、どうすれば。
頭の中で幾度となく繰り返し呟けばハタリと気がついた。

 自分が道に迷いそうな時、間違えた道に進みそうな時。いつだって自分を導き、正しい道へと進ませてくれたのはサクラだったのだと今更ながらに知る。

 震える唇をぎゅっと噛締め拘束された腕で拳を作れば、ぼそぼそと聞こえる話し声。
聞こえなくなったと思えば、カツリと聞こえた音。
ゆっくりと顔をあげればそこには眉を下げ、今にも泣いてしまいそうなサクラが居た。


「サ、クラちゃん……!」


 一体、どうしたのか。怪我でもしたのか傷つく事でもあったのだろうか。
ぐるぐると頭の中を駆け巡る思考にナルトは焦り声を上げていた。

「ナルト……」

 のろのろとした動作でサクラが鉄格子越しにナルトの目の前に座り込む。
ざらりとした砂がサクラの足を汚したが、サクラは気にせず真っ直ぐとナルトを見つめた。

 カチリと合う空のように青い瞳と翡翠色をした緑の瞳。
なにも言い出すことが出来なかったナルトは思わずサクラから視線を外し地面を見る。

「馬鹿ねアンタ。綱手様に聞いたわよ、大暴れしたらしいじゃない」
「……言うほど暴れてねーよ」

 強気で言ったつもりだったがナルトの声はとても弱々しい。
一度、少しだけ口を開こうとしたサクラだが、項垂れ目の前で揺れた金色に輝く髪の毛を見て口を噤んでしまう。

 訪れる沈黙。どうしたものか、どう言おうか。サクラが思考を巡らせていればピチャリと響く水の音。
それを皮切りに先に口を開いたのはナルトだった。


「なんで、我愛羅だったんだよ」

 地下牢に響くナルトの声にサクラは視線だけを動かせば、ナルトのつむじが見えていた。

「なん、で……我愛羅だったんだよ……!」

 それはまるで泣き叫ぶような。
サクラは思わず息を呑んで奥歯を噛締めて拳を握り締めた。

「ごめ、……」
「なんでなんだよ、なあ! なんでサクラちゃん!」
「……ナルトっ」

 噛み付くようなナルトの訴えにサクラはじわりと涙を浮かべる。
食いしばりナルトを見れば、涙を流していないのにナルトが泣いているように見えた。


「俺、サクラちゃんのこと好きだよ、嘘じゃねえ!」
「っ……」
「ずっと一緒に居て、ずっと木の葉で皆一緒に!」
「ナルト!」

 腰を上げてサクラは鉄格子を両手で掴む。

「私はアンタを好きにならない」

 鉄格子を掴んだサクラは頭を下げナルトを見下ろす。
ゆらゆらと揺れる蝋燭の炎。サクラの影がナルトに落ちた。


「……ごめん、ナルト」

 ぼろりと涙を零したサクラにナルトは歯を食いしばる。
力なく鉄格子から手を離したサクラは座り込めば、ザラリとする砂を握り締めた。


「アンタにそんな感情持ちたくない……そんな感情で結ばれたくないっ……!」
 サクラの言わんとしている事が分からずナルトが顔をあげればサクラは蹲って、涙を流した。

「私は、ナルト。アンタとは背中合わせで……、一緒に戦いたい! ナルトとサスケくんの背中を任せてもらいたいの……!!」

 それは、サクラがずっと二人の背中を追いかけ追いつこうとた想いであり願いであった。
嗚咽交じりに泣き叫ぶようなサクラの声にナルトは呆然と目を開き瞬きをする。

 青く輝くナルトの瞳から一滴、涙が零れ落ちた。
サクラは自分達を捨てようとしたわけではない。情が深いサクラがナルトやサスケを見捨てる事など無いという事は知っていたはずだった。

「ごめ、ん! ナルト……!」
 ごめんと何度も何度も繰り返すサクラにナルトはズっと鼻を鳴らして肩で涙を拭う。

「謝らないでくれよ、情けなくなるってばよ……」
 男として見てもらえていないなんてことは随分前から知っていた。
それでも"好きにならない"と言われた挙句、謝られては男としてのプライドも傷がつく。

「ごめっ……あ……」

 ナルトの言葉にごめんと言いかけてサクラは、ぎゅっと唇を一の字に引き口を閉ざしてしまう。
ぼろぼろと涙を零すサクラの頬は蝋燭の淡い炎で輝いていた。

「サクラちゃん」
 優しく呼ぶナルトの声。
いつだって聞きなれたその声にサクラは眉を下げる。

「俺、サクラちゃんのことやっぱり好きだよ。ちゃんと俺を導いてくれるし正しい道に連れて行ってくれる。
サクラちゃんが我愛羅を好きで、俺が他の女の人好きになっても、多分、ずっとサクラちゃんが大切で……大切な存在だと思う」

 ニカリと笑ったナルトもまた、ボロリと涙を流していた。

「馬鹿ね、アンタ。本当に馬鹿ね……」

 困った表情で笑うサクラも泣いていた。






「サクラちゃん、あのさ」
「なによ」

 鉄格子に背を預け膝を抱え、サクラはナルトの言葉に耳を傾ける。

「我愛羅はさ、ずっと寂しかったし孤独だったんだ。周りに誰か居たかもしんねーけどずっと泣きたかったんだと思う」
「……うん」

 膝を抱える手にきゅっと力を込める。

「だからさ、我愛羅の事見捨てないでくれってばよ」

 まるで自分のことのようにサクラに訴えかけるナルトに喉がきゅっと絞まる感覚がするのを感じ、 サクラは噛締めた唇を開いた。

「あったりまえじゃない! 私のしつこさはアンタが知ってるでしょ!」
 なんて言ったって隣でずっと見てきたのだ。
我愛羅よりもサスケよりも、ずっとナルトが隣で見てきたのだ。

「うん、知ってる」
「なんですって!」

 へらりと笑うナルトにぎゅっと眉頭に力を入れてサクラは叫ぶ。
むすりとしたサクラが腕を組んだのを見たナルトは穏やかに笑った。


「なあ、なあ、サクラちゃん」
「なによ、もう!」

 先ほどと打って変わってニコニコと笑うナルトに戸惑いを見せるが、今までと変わらぬように接してくれるナルトがありがたかった。


「笑ってよ」

 穏やかなナルトの瞳がサクラを見つめる。
目の奥が熱くなるは気のせいだとサクラは首を振る。

「私はいつだって笑っているわよ」

 白い歯を見せてクシャリと笑うサクラに、ナルトはうん。と頷いた。


(やっぱり、俺が好きなサクラちゃんだ)

 ナルトもサクラに負けずクシャリと笑えば、薄暗い地下牢に似つかわしくない笑い声が穏やかに響いていた。