幼い時は何も知らずにただ、好きだといって相手の行動に一喜一憂していたけれど。
歳を重ねるほどに段々と臆病になっていく。
昔は大人になれば出来ない事も出来るようになり、認められる存在になるかと思っていた。

 嘘偽りで塗り固められた心臓は、思いの外疲れていたらしい。



4:近からず、遠からず




 コポコポと音を立てるフラスコ。
眺めるだけは眠くなる。そう思いながらサクラは大きな欠伸を一つした。



「お疲れ気味ですね」

 研究室の机に突っ伏して瞼を閉じていたサクラは頭上から掛けられた声にのそりと顔を持ち上げた。

「マツリちゃん……もう休憩終わったの」
「はい! ラーメン食べてきました!」
「ラーメン……暑いのに元気ね」

 暑いからこそのラーメンですよ! と机に書類を置きながら笑うマツリを見て、サクラは頬杖をする。

「あー、それにしても木の葉のラーメン美味しいですよね。一回本場のラーメン食べてみたいです」
 ほう、とまるで恋をするかのように頬を染めながらラーメンについて語るマツリにサクラは思わず微笑んだ。
「美味しかった?」
「はい! それは勿論……!」
「じゃあ、今度マツリちゃんが木の葉に遠征に来たときに、オススメのラーメン屋さん教えてあげるわ」
 ふふ、と笑ったサクラに、本当ですか! と目を輝かせ、よし頑張るぞー! と腕をまくり気合を入れたマツリにサクラは優しく笑う。


 コポコポコポと聞こえる小さな音。
目の前のフラスコから聞こえるそれに視線を向ければ泡を出し、ぼんやりと眺めていればボン! と小さく音を立て爆発する。

「あちゃー……ちょっと時間が長かったか」
「あー、失敗ですかね」
「うーん、どうだろう」

 フラスコの中身を覗き込めば液体だったものが気化していた。

「タイミングが悪かったですかねぇ」
「んー、そうね……」

 タイミングねぇ。と心の中でサクラは繰り返し呟く。

「どうしました、サクラさん?」
「ん? ううん。なんでもないわ」
 ちょっと外の空気を吸ってくるわね。そういい残し部屋を出て行くサクラの背を、マツリは見送る事しかできなかった。



 距離を測りかねている。
どうしてだろう、何故だろう。とずっと胸の奥で引っかかっているものが取れないでいる。

「我愛羅くん……」

 ぽつりと口の中で小さく呟いた名は、本人に届くはずも無い。
 炎天下の下、医療塔近くの小さな公園。
石造りのベンチに腰を下ろしていたサクラは、背中に汗をじわりと掻く。
背凭れに体を預け目元を押さえ太陽の光を遮断して、浅く息を吸った。

 どこか余所余所しい我愛羅の態度にサクラは今一歩踏み出せずにいる。
正直に言えば上手くいってない、上手くいくはずがないのだとサクラは理解していた。

 あの日、砂隠れに旅立つ前の日。ナルトとひと悶着あったあの日からだ。
新緑のような穏やかな瞳の奥底に眠る獣に、恐怖を感じてしまった。


 どうすればよかったのだろうか。
何が正解だったのか分からない。分からない問題を突きつけられるもどうすればいいかわからない。
これが紙面上の問題だったら参考書なり、引っ張り出せばよかった。
 だけどこればっかりはそうはいかない。



 甘えてきた結果がこれだ。
ナルトに甘えて我愛羅に甘え、見て見ぬ振りしてきた結果がこれだ。
自分でどうにかしなければ。


 パチン! 両頬を叩きサクラはきゅっと眉間に皺を入れた。

「よし! うじうじ考えても仕方ない、こうなったら当たって玉砕よ!」


 ベンチから立ち上がり、拳を天に掲げ叫んだサクラを子供達は不思議そうに見ていた。


 ***



「暇じゃ」

 室内に響く声につい、嫌な表情をして見せたのはカンクロウ。
その表情をテマリに見られ、カンクロウは頭を叩かれる。

「なんて顔してんだい」
「いや、つい……」

 ひそりと会話をするテマリとカンクロウの背を、ソファに座ったまま眺めていたのは大名の娘。
蝶の模様が入った着物を身に纏い黒く流れる髪を簪で一まとめに結っていた。

「姫君、あまり我儘は」
「爺、うるさい」

 少女に爺と呼ばれたのは年老いた執事。少女の隣に立ち、肘を付いてテマリとカンクロウを見る少女に姿勢を正すように注意する。

「うるさいの……爺、」
「何用で」

 少女は隣に立つ年老いた執事に顔だけ向け、眉を少し吊り上げる。

「テマリ達と話がある、席を外せ」
「……仰せのままに」
 一礼し、年老いた執事と共に側近である者たち数名が部屋から退室するのを確認し、少女は顔を上げテマリとカンクロウに視線を向けた。

「サクラは何処じゃ」

 何事かと思えば、サクラの所在。
テマリとカンクロウは顔を見合わせ肩を竦める。

「なんだ、サクラなら今日は護衛の任は解かれ医療関係の仕事に就いてる」
「姫、いくらサクラがお気に入りだからと言ってあまり気にしすぎると……」
 困ったように笑う二人に、表情を一切崩さず少女は唇を少しだけ引く。

「風影は傍にいるんじゃな?」

 あまりにも真剣なその瞳。
子供とは思えないその瞳の力強さに一瞬だけ、尻込みをする。

「どうだろうな、我愛羅もサクラも仕事がある、一緒に居るとは限らないじゃん」
 問いに答えたカンクロウの瞳をじっと見つめた少女は、そうか。と一度瞬きをする。


「サクラに死相が見えておる。死ぬぞ」
「は……」
 顔を顰めたカンクロウはツカツカと歩き少女の前に立つ。
少女の両肩に手を置き少しばかり声を荒げてしまった。

「言っていい冗談と悪い冗談があるのぐらい分かるだろうが!」
「冗談でサクラを護衛に付けろと言わぬわ! 馬鹿者!!」
「カンクロウ、やめないか!」

 ビリビリと揺れる空気。
カンクロウを少女から引き離し、テマリどう言う事かと投げかける。

「サクラと初めて会ったあの日からずっと夢を見るんじゃ。サクラの心臓を蝕むような禍々しい力……
そして気になるのが、サクラを纏っていたオレンジ色の加護がなくなっていたこと」

 自分の手のひらを見た少女は拳を作る。

「私には"見る力"があったとしても"護る力"は無い。おぬし等に伝えることしか出来んのだ」
 目を伏せる少女の髪をぐしゃりと撫で、わしゃわしゃとかき乱せば、何をする! と声を上げた。

「姫さん、アンタがどんな夢見てきたかだなんてしらねぇけど忍なんてのはいつだって死と隣り合わせじゃん。
覚悟持って忍になってんだ。あんたが気に病むことじゃない」
「そうだな、今日生きてても明日生きてるかどうかなんて保障出来ないしな」
 あっははと笑い合う二人を見て、少女は少しだけ奥歯を噛む。

 違う。そうではないのだと声にしたかったが、結局出来ず仕舞いで拳を握り締めるしか出来なかった。