穏やかな日々だと感じるようになったのは何時からだろうか。
 誰かが隣に居て、些細な事で笑い、喧嘩する事が当たり前になったのは何時からだろうか。
 凍りつくような空気の中、空を眺めれば、キラキラと輝く星達が綺麗だった。

 星が綺麗だ。
 そう思うようになったのは何時からか。
 昔は空を眺めても、ただそこにあるだけだった。何の感情も持たなかった。
 正確に言えば持つ必要が無かった。空を眺め星を見て一体何を感じればいいのだと。
 
 星が綺麗だと教えてくれたのは誰だったか。
 華が香り、心を落ち着かせると知ったのは誰のお陰だったか。
 誰かの為に泣く事が綺麗だと思わせてくれたのは誰だったのか。
 人を愛すると言う事を教えてくれたのは誰だったか。
 考えれば考えるほど、貰ったものはとても多くて。
 自分は貰ってばかりで彼女に何かを返せているのだろうかと不安になる。

 はたりはたりと急ぎ足で家へと向かう。

 ただ、寝るだけのところが何時から帰る場所になっただろうか。
 ガチャリと玄関の鍵を開け真っ暗な家へと入る。
 彼女が寝ているであろう寝室へとすぐさま向かおうかと思ったがいつもの習慣なのか、彼女に言われる言葉を思い出す。
「家に帰ってきたらまず、手を洗いなさい」
 子供じゃあるまいし。そんな事を言い返したら、外にはどれだけ菌が繁殖し手にどれだけ菌が付着しているかをこんこんと説明された事を思い出した。
 いつかカンクロウが言っていた。妙に家庭的になったと。
 よくよく考えればこういう些細な事一つから変わったのかと思い知る。

 ジャーと水道から水を流し手を洗えば目が覚めるような冷たさだった。
 タオルで手を拭えば、それは真新しい物に変わっている事に気が付いた。

 幼い頃は夜叉丸が身の回りの世話をしてくれて、夜叉丸が居なくなれば屋敷に使える家政婦が
姉兄揃って身の回りの世話をしてくれていた事を思い出す。
 あくまでも彼女達はそれが仕事だった。身の回りの世話をする事で報酬が発生していたので当たり前にしてくれていた。
 ……夜叉丸はどうか分からないが。きっと、仕事の内に入っていたのであろうが。

 サクラが木の葉から嫁いできた時に屋敷を出た。
 屋敷に居る必要性が無かったからだ。
 任務の間や慣れない環境の中、文句一つ言わないサクラに甘んじていたのかもしれない。

 はあ、と息を吐いてサクラの気配を感じる寝室へ向かう。
 扉を開ければカーテンは閉めておらず、月明かりにたらされたサクラが寝ていた。
 静かに近づき除き見れば、泣き腫らしたのであろう。頬には涙の後が薄っすらと残っていた。

 腰を下ろし、白い頬を撫でる。
 眉間に皺を寄せ、薄っすらと瞼を持ち上げたサクラ。
 ゆらりと揺れた翡翠色の瞳が我愛羅を写し出した。

「我愛羅君……お帰りなさい」
「ああ、ただいま」
 返事をし、サクラの目尻を親指で拭う。
「サクラ」
「……何」
 ゆっくりとサクラが数回瞬きをした。

「俺は、父親になれるのか」
 父とはなんだ。自分の血を分けた子供を愛するとはどういうことだ。
 自分の分身など末恐ろしい。
「我愛羅君」
 サクラの少し高めの体温。サクラの掌が我愛羅の手にそっと重なる。
「親ってね、最初から完璧な親じゃないのよ。子供が成長するのと一緒に親も成長するの。
間違えたり、失敗する事もいっぱいあるんだって」
 寝転んだまま、くすくすと笑うサクラ。
 そっと、サクラに抱きつき肩に額を当てる。
「我愛羅君のお父さんはきっと愛し方を間違えただけ。我愛羅君のお母さんは何時だって貴方を見守ってくれているじゃない。
テマリさんやカンクロウさんも貴方を愛しているじゃない」
 サクラの手が優しく我愛羅の頭を撫でた。
 
「大丈夫よ。我愛羅君が間違えていたら私が引っ叩いてあげるから」
 ぽんぽんと背中を軽く叩く。
 サクラは肩がじわりと濡れるのを気が付かぬふりをした。
「だから、私が間違えているときは容赦なく引っ叩いてよね」
 ズッと鼻を啜る音を立て、我愛羅は顔を上げた。

「無論だ」
 少しだけ目を細めて笑った我愛羅に、サクラは目尻を下げた。
「ねえ、我愛羅君。私、この子産みたい」
 はっきりとサクラは自分の意思を伝える。
 迷いの無い瞳。
 不安が無いわけではない。怖くなくなったわけではない。
 だけど、サクラが隣に居てくれるのならば。
 サクラが共に歩んでくれるのならば。

 父が間違ったと言うならば、自分は間違えなければいいだけのこと。
 母が居なかった事が、ともに歩む者が居なかった事にどれだけ父が苦しんだか想像するだけ容易い。
 もし、今サクラが居なくなったとすれば。
 考えただけで怖かった。

 サクラのお腹にそっと触れ、軽く撫でる。

「俺とお前の子だ」
 サクラの頬と、瞼に唇を落とす。
「うん」

 はらりとサクラの瞳から涙が零れたのを見て、我愛羅も思わず目頭が熱くなるのを隠すように、サクラの唇に、自分の唇を重ね合わせた。