いつからだろうか。
彼等ではない、あの人の背中を目で追うようになったのは。
あの人の声が聞こえる度、心が弾んだのは。
 いつからだろうか、自分の中の募る想いに気がついたのは。
いつからだろう、こんな想い抱かなければ良かったと思ったのは。

 いつから。



『サクラ、お前に単独のSS級任務を任せる』

 火影である綱手に任務を与えられ、木の葉を発ったのはもう数日前。
鉛色の空を見上げれば、大量の涙を零していた。


「風邪、ひきますよ」

 ギシリ。廊下を踏みしめ聞こえる音。
近づいてきた人物がサクラの肩に上着を掛ける。
申し訳なさそうにサクラが笑うと、その人物はにこりと微笑んだ。

「すみません、馬鹿みたいなことを依頼して」
「……いいえ」

 にこりと微笑んだのは、雨隠れ近隣の街に住む小さな商店の息子。
彼は「蘭」と名乗った。

 雨隠から一番近い都。その中の小さな宿にサクラは今回の依頼者であるランと共にいた。
宿の窓際に立つサクラの頭には、木の葉隠れの忍の証である、額宛は無かった。

「この都に彼女が居るのね」
「はい……」

 蘭は窓の外を眺め、街並みを眺める。
穏やかにな視線の先をサクラも見つめたが、そこは雨で霧がかかっていた。

「まるで、僕と彼女の距離のようだ」

 寂しそうに呟き、右手で窓ガラスに触れる。
触れた指先から水滴がしとりと流れていく。
サクラが視線を上げ、蘭の顔を見れば悔しそうに唇を噛んでいた。



 僕と彼女を殺してください。

 顔合わせで会った時、依頼者である蘭が発した言葉の第一声がそれだった。
「何を馬鹿なことを」頭に過ぎった言葉をサクラは言えなかった。

 たった数日。されど数日。
僅かな期間で彼は、身分違いの令嬢を愛した。
令嬢もまた、彼を愛した。

 だけど決して結ばれることは無い。
身分違いの恋に許しが出ることはなかった。
激高した令嬢の父親は娘に婚約者を与え、蘭にも何処からか連れてきた娘を迎え入れろとして連れてきたらしい。
 聞けば、蘭へと連れてこられた娘もまた、未来を誓い合った婚約者と引き裂かれたと言う。

 後悔をした。どれだけ嘆いても取り返しがつかない。
蘭の元に連れてこられた娘は毎夜泣き崩れ、掛ける言葉も無い。
そんな折、蘭の元へ届いた一通の文。

 令嬢の娘から、男と身を結ぶ事になったと。
それは令嬢から最後の願いであり、最後の想い。

 どうか、あなたと。

 その文には明後日、男と式を挙げると記されていた。

 涙ながらに話す蘭に、サクラはただ頷き話を聞いた。
ほんの少しだけ、令嬢が羨ましいと思えた。

 地位も身分も何もかも捨ててしまえるほど、愛してもらえるなんて。
全てを捨ててでも誰かを愛することが出来るなんて。



 ザアザアと耳に残る雨の音。
意識を浮上させれば、隣に立っていた蘭は和室の座席に腰を下ろしていた。
小さく息を吐いて、正面に座れば暖かいお茶を注いだ湯飲みを差し出された。

「サクラさんは……」

 湯飲みの中で茶柱がゆらゆらと遊んでいる。
依頼者である蘭に視線を合わせることなく、サクラは湯飲みを静かに見つめていた。

「サクラさんは……想いを伝えないんですか」

 雨の音が酷く煩く感じてしまう。 
湯飲みを持つ手に少しだけ、力が入ってしまった。

「私は、そんな度胸も勇気も無いもの」

 そもそも、距離が遠い。
最近は仕事上で話す事も増えたけど、それでも彼にとって私は"ナルトの仲間"でしかないんだ。

 あの人が遠い。
手を振り払われるのがただ怖い。

 その他大勢の中で笑っているだけでいいんだ。
それでも時たま、あの人の声色で名前を呼ばれるだけで、それでいい。

「サクラさん」

『サクラ』

 錯覚を起こしたかと思う。
あの人の柔らかい声で、名前を呼ばれたような気がした。

「あなたの涙を拭くのは僕の役目じゃない……あなたが愛してる人の役目だ」

 そっと差し出されたハンカチ。
感傷的になりすぎて、いつの間にか零れていた涙は手の中の湯飲みの中に流れて、落ちていた。
揺れていた茶柱は、沈んでいる。

 子供の頃のように何も考えず、ただ、この想いを伝えられたのなら。

 あの人が遠い。
あの人の声が、ただ、聞きたい。



1.澄んだ声に、(恋をした)
 → 2.出逢った瞬間、