じりじりと茹だるような暑さと、ぺたりと額にはり付く前髪。太陽の熱を吸収したアスファルトはなんとも熱そうで仕方がない。
社用車から降りた我愛羅は、緩めていたネクタイを締め直した。
自動ドアをくぐればひやりとした冷気が身体を包む。はり付いた前髪を人差し指と親指でつまんでさらりと流した。
「あら、我愛羅くん、いらっしゃいー」
総合病院の受付。
見知った金髪の女こと、山中いのがひらりと右手を軽く上げる。
こくりと頷き、少しばかり辺りを見渡し我愛羅はいのに質問を投げた。
「サクラは?」
「えっとねぇ、今は回診してるからもう直ぐ終わると思うわ」
バインダーに挟んでいる走り書きをした紙を見ていのは答える。その紙を受付に置いてある分厚いファイルの上に無造作に置くのを見て、我愛羅は看護師も大変だな。と心の中で呟く。
「どうしますー?」
どうする。それはここで待つか、それとも他の場所で待つか。
受付と言う事もあり人の出入りも多いので我愛羅は「そうだな」と顔をあげた。
「カフェに居る」
院内に併設された吹き通しのいいカフェテラス。
昼時も過ぎているので人はそんなに多くないだろう。そう考えた我愛羅はいのに短く伝える。
「分かったわ、サクラに伝えておくわ」
「すまん」
軽く頭を下げた我愛羅にいのは「気にしないで!」とにこやかに営業スマイルを見せていた。
店内に静かに流れる音楽はクラシック。
人の少ない店内の一番奥。ガラス越しに外を見れば患者や看護師は勿論それ以外の一般人が行き交いしている。
それを何となく見ていた我愛羅は、一つ大きな欠伸。
ねむい。
のんびりとした穏やかな空気、涼しい店内がここ連日寝不足だった我愛羅を深い眠りに誘おうとする。
眠くなるのを堪えるように目元を擦り、注文をしていた珈琲を一口飲んだところで、店員の「いらしゃいませー」と語尾をのばした挨拶が聞こえてきた。
「あ、我愛羅くん。お待たせー」
へらりと笑い声をかけてきたのは春野サクラ。
そのサクラに向かい軽く片手を上げれば、撫子色をした髪を揺らしながら小走りで近づいてくる。
「忙しいのに悪かったな」
「全然! 寧ろ休憩入るタイミング逃してたから助かったわ」
分厚いファイルと長財布を持っていたサクラが向かいの席に腰を下ろす。
「お昼注文していい?」とサクラが我愛羅に聞けば、我愛羅は小さく頷いた。
にこにことメニュー表とにらめっこをするサクラを見て、我愛羅は少しだけ目元を細くする。
「よし、すみませーん」
サクラが近くを通りかかった女性店員を呼び止め注文をする。
その横で、珈琲を新しくもらえないだろうかと我愛羅が言えば、
女性店員は少しだけ目尻を赤く染め、はにかむように笑っていた。
「相変わらずモテるわねぇ……」
「……はぁ?」
氷の入ったグラスに口を付け、サクラは言葉を漏らす。
ひやりと冷たい水をゴクリと飲んで「だってさぁ」と思い出すように言葉を続ける。
「我愛羅くんが骨折で入院してる時から看護師、患者、問わず黄色い声上げられてたじゃない、それに今日も後輩の女の子たち喜んでたわよ」
にやにや笑うサクラを見て、我愛羅はひくりと口元を動かし、頭を抱えて見せた。
「……別に嬉しくないんだが」
「まあ、贅沢ねぇ」
少しばかり業とらしく声を上げるサクラに、我愛羅はじとりと視線を向ける。
「あの時は大変だったんだぞ、テマリが何とかしてくれたからよかったものの……」
「あはは、確かに。テマリさんに『面会は限られた人間だけ入れてくれ!』と言われたのを覚えてるもの。懐かしいわー」
笑い事じゃない。
呟いた我愛羅はむすりと口元を歪める。
そんな我愛羅が製薬企業の営業、MRだと知ったのは退院してから。
新しい担当者が配属されると聞いたサクラは、紹介されたのが我愛羅だったことに心底驚いた。
「そう言えば、我愛羅くんがこの地区担当になってから、もう随分経つわね」
先ほど注文をとった女性店員が運んできたオムライスを一口食べ、サクラは目を輝かせる。
美味しそうに食べるサクラを見て、我愛羅も何か腹に入れるものを頼めばよかったな。と少々後悔した。
「そうだな、もう直ぐ二年になるな」
二年。
それは我愛羅がこの地区の担当者となり、月に顔をあわせるようになって、もう二年が過ぎようとしていた。
「早いわねーもうそんなになるんだ。はい、コレ。先月使用した医薬品一覧とその結果よ。あと患者さん達の感想も書いてるわ」
ファイルから分厚い紙の束を取り出し、我愛羅に手渡しする。
ずしりと思いその紙の重さに我愛羅は少しばかり息を吐く。
この書類を持ち帰り、纏めなければいけないと考えたら頭痛がしそうでならなかった。
「ほとんど書いてくれてるとは思うんだが……ここにあるの以外で何かあるか?」
「うーんと、あ! 二ページ目の新しい風邪薬なんだけどさ、性能は問題ないんだけど味がねー」
「味か……」
そうそう、と頷いたサクラはオムライスを平らげ、唇をぺろりと舐めた。
「子供用の薬品にしては味が苦すぎてね。数人の子共たちに大泣きされて困ったわ」
「そうか……わかった、それも伝えておこう」
肩を竦めたサクラを見て、我愛羅はボールペンで書類に走り書きをする。
その流れる手の動きを見ていたサクラに、何処となく居心地が悪くなり
「他に何かないのか」と聞けば、サクラの視線が持ち上がる。
太陽の光でキラリと輝く翡翠色の瞳。
一瞬、呼吸を忘れた我愛羅は「我愛羅くん?」とサクラに名を呼ばれ意識を浮上させた。
「どうしたの?」
「いや……何もなければ新しい医薬品についてだが……」
そろりと。誤魔化すように、視線を外し我愛羅は鞄から取り出した新しい商品の説明を始める。
その我愛羅の姿に、微かに眉を下げたサクラは小さく微笑んだ。
「結局奢ってもらって面目ない……」
カフェから出る際、テーブルにあった伝票はひとつだけ。
サクラが伝票を手に持った瞬間、サクラの手の中から我愛羅が伝票を奪い取ったのだ。
「払う」「払わなくていい」の小競り合いを数分繰り返していたが、我愛羅が突然「あ」とサクラの背後に指をさした。
サクラが振り返ったその隙に、レジで支払いを済ませた我愛羅はさっさと店内から出てきたのである。
「だったら今度、缶コーヒーでも奢ってくれ」
「微糖? ブラック?」
じりじりと暑い日ざし。
駐車場に二人で他愛も無い会話をしながら歩いていく。
我愛羅が胸ポケットからキーケースを取り出し、社用車の鍵をガチャン。と音を立ててあけた。
「ブラックだな」
「了解しましたー」
社用車に乗り込み、窓を開けた我愛羅に軽く右手を上げてサクラは問う。
「次はいつぐらいになりそう?」
「来月末だろうな、この書類の纏めと新しい医薬品のサンプルもあるからな」
わかったわ。と答えたサクラは頷く。
それを見て我愛羅は「それじゃあ、来月」と伝え社用車を動かした。
ミラー越しに見ればサクラがいまだに立っている。
それが毎度のことながら気恥ずかしかった。
病院の敷地内から出て右折をしたところで信号に捕り、思わず「はあ」と溜息を吐いて我愛羅は項垂れる。
「くそ……」
両頬が熱いのは、太陽の日差しのせいだと言い訳をする。
元担当看護師と患者で、今は営業とその担当と言うだけ。
燻る想いに未だ決着をつけられないでいる。
01. 僕と彼女の一定距離
→ 02. 惑いと共存する想い