接待。
接待(せったい)の本来の意味は客をもてなすこと。
日本においては企業が取引先を飲食店などでもてなすことを接待と呼ぶ場合が多い。
引用、世界のwiki先生。
そっと、携帯を胸ポケットに仕舞う。
目の前の光景に「おかしくない?」と思いながら周りに気がつかれぬように、小さくため息を吐いた。
「我愛羅さんって、あの木の葉製薬会社のMRなんですねぇ」
咽返るような香水の匂い。
猫なで声で隣に座る女に、我愛羅は思わず距離を取った。
が、その女とは別に隣に座っていたもう一人の女が、我愛羅の右腕に腕を絡める。
業とらしく胸元を開け谷間を強調させ、上目遣いで我愛羅の顔を覗き込む。
「今、彼女居ないんですよねぇー」
真っ赤な唇をきゅっと引き上げ、ゆるくパーマをかけている髪の長い女は、まるで獲物を駆るような瞳をしていた。
いったいどうしてこうなった。
いや、原因は分かっている。これは接待と言う名のただの合コンに過ぎないのだ。
先日、同僚のキバから"打ち合わせ"があると話に聞いていた。そう、"打ち合わせ"だと。
キバを含め新人の営業二人の計四人で来たのだが、相手の女も四人と言う事もあり事前に打ち合わせをしていたなと、我愛羅はキバに向かって視線を向ける。
我愛羅の視線に気がついたのか、キバは右手を顔の前にあげ「スマン」と苦笑いをしていた。
相手は全員、名のある病院の女医。
だからこそ致し方ないのは重々承知している。
打ち合わせや接待、果てはこういう合コンまでもが仕事に影響してくるのだから。取引先の相手の機嫌を損ねてしまえば、最悪今後の取引が行われない事もあるのだ。
内心、頭を抱えながら我愛羅は右腕に抱きつき、胸を押し付けてくる女にやんわりと断りを入れる。
「その、すまないが放してくれないだろうか」
「あら残念」
赤い唇を横に引き、笑った女は素直に腕を放す。それと同時に、席を立ち「少し席を外す」と言い残し我愛羅は逃げ出した。
少しばかり値が張るような食事処。
全て個室と言うのは誰にも顔を見られずに丁度いいが、中でなにが行われているかは不明だ。
高級感溢れる店は黒が基調の石造。
ぼんやりと薄暗い廊下は違う人が居たとしても、はっきりと顔が見えないので取引などには好都合だろう。
そんな事を思いながら我愛羅はトイレに足を向ける。
正直このまま帰ってしまえれば。そんな事を考えたが無理だろうなと大きな溜息を吐く。
ガチャリと扉を開ければ、そこに居た一人の男。
見知った男の顔に一度瞬きをし、我愛羅は思わず扉のプレートを見上げ、トイレだよな。と今一度確認をした。
「オイオイ、そりゃないんじゃねーの? 同僚と会ったんだから挨拶ぐらいしたらどうだ?」
手洗い場の鏡の前。
鼻歌を歌いながらブラシで髪の毛を梳いているのは、同じ部署に務める何かと突っかかってくる男。
面倒くさいな。
そう胸の中を過ぎった我愛羅は思わず顔に出ていたらしく、男は少しだけ眉を吊り上げた。
「まあいいさ。今はお前に構っている場合じゃないしな」
ふふん。と笑う男に我愛羅は首を傾ける。
そんな我愛羅は見て男は少し口元を吊り上げ、ブラシを洗い鞄に仕舞う。
「我愛羅、お前が羨ましがるぐらい可愛い女の子なんだぜ」
「は?」
我愛羅の横を通り際、ぽんと肩に手を置いて不適に笑う男に思わず、何を言っているんだ。と視線を向けた。
「精々そちらは"打ち合わせ"頑張ってくれよな」
ひらりと腕を軽く上げ、廊下を歩く男の背を見送る。
何故だかライバル視されている男に、少しだけ頭を悩ませるが、今更だな。
そう思い我愛羅は扉をくぐり手洗い場の前に立つ。
蛇口を捻れば、流れ出る水。触れればひやりと冷たくて、心地良い。
可愛いとか羨ましいとか思うのは、それこそ人それぞれだ。
だけど何故だが、不安感がよぎるのは気のせいだと思えない。
トイレの扉を少し力強く開け放つ。店の出入り口から聞こえた声に、耳を傾ければどこかで聞いた事のある声。
嫌な、とても嫌な予感がして、我愛羅は廊下の角から覗き見た。
「とにかく、今日は頑張って視野を広げるのよ、サクラ」
「と、とりあえず今日はいろんなこと忘れて楽しもうよ」
「う……うん……」
見間違える筈も、聞き間違えるはずも無い。
ずっと焦がれて、大切にしてきたその人物を間違うはずが無い。
「こんばんは、皆さん待ってたよ」
にこやかに、人の良さそうな営業スマイルを見せ、サクラ達に声を掛けるのは、同僚の男。
ぐいぐいとサクラの背中を押している、サクラの友人二人。
同僚の男はするりと腕を伸ばし、サクラの右腕をごく自然に掴んでいた。
「よろしく」
「よ……よろしく……」
あまり乗り気そうでないサクラは、男に対してヒクリと苦笑いをしながら返事をしていた。
出入り口近くの一室。
そこに姿を消したサクラ達に我愛羅はなんとも言えない気持ちに苛まれた。
(飲んでないのに吐きそうだ)
ぐしゃりと胸元を握り締めたが、吐き気が治まるはずもなかった。
03. もしもこの日常が壊れたら
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