じっと見られている感覚に、ふと視線を上げれば少しだけ驚いた表情のサクラと同僚の男が立っていた。
夜風に当たり、気分を転換をしようと思った矢先。我愛羅は腹の下がぎゅっと握り潰される感覚がして目元を細め、眉間に皺を入れる。
「サク、ラ……」
呼んだ声はどうだったか。いつもに比べれば弱気だったかもしれない我愛羅はなにより、サクラの名前を呼ぶのが少しだけ怖かった。
口元をきゅっと一文字に引いたサクラの瞳がゆらりと揺れる。ゆっくりと瞬きをした我愛羅は、揺れた瞳に微かに奥歯を噛んだ。
「お前、彼女居たんだ。俺等全然知らなかったぜ。水臭ぇな! 紹介しろよ」
同僚の男が何か勘違いをしているらしい。いったいどういう理屈で彼女がいるという話になるのだろうか。疑問に思い我愛羅が眉間の皺を深めると、肩に突然何かが圧し掛かかった。
「はーい! 我愛羅さんの彼女でーす。中央病院で外科してまーす」
甘ったるい、少し高めの声。肩に抱きついた女医に何を言っているんだと思い、腕を振りほどこうと我愛羅は女医の手首を掴む。
「やーん、積極的ー」
「……何を言っている」
掴んでいた手首を離せば、女医は両頬に手を当て上目遣いで我愛羅の顔を覗き見るように、擦り寄った。
女医の言葉に「中央病院か」と男は顎に手を当て女医を見る。有名な先生だよな。と男が呟くと「おかげさまでー」と男にニコリと笑いかける。
騒がしやり取りの中、静かに動く気配に我愛羅が顔を上げれば、サクラが真っ青な顔をして後ず去った。
「サク……」
サクラ。
そう名を呼ぼうとしたが「ごめん!」と我愛羅の声は遮られてしまう。
「わ、たし、用事思い出したから、ちょっと帰るね。ごめんね!」
まるで逃げるように立ち去るサクラ。我愛羅が動くよりも早く男が「俺、あのこ送っていくから」と言い残し後を追う。
その声に、ドキリと心臓が冷え、我愛羅が動けば女医から腕を力強く引っ張られた。何をするのかと思い、女医を見れば薄く笑っている。
「駄目よ」
「は?」
もう一度「駄目よ」と女医が呟き、真っ赤な口紅がついた唇を引き上げ、笑った。
胸の中に鞄を握り締め、日が沈み、夜も更けた街中をただ走る。夜の繁華街はまだ寝らず。煌びやかなネオンが存在を主張する。
生温い風が、肌を撫でて気持ちが悪い。息が切れ肩で呼吸をしひたすら走れば、どうしようと頭の片隅で思い浮かべた。
「……はぁ……いのとヒナタには後で連絡しよう」
逃げてしまった。我愛羅の口から事実を聞くのが怖くて逃げてしまった。聞いてしまえばもう、今までと同じ関係でいられないと思ってしまった。
事実を知れば気軽に話す事も、一緒に笑う事も躊躇する。ほんの少しだけ距離を取って聞かなければ知らないふりをしてればいい。
鞄から携帯電話を取り出して、両手で握り締める。ディスプレイを見ても電話もメールも入っているはずなんてないのだ。
(……交換してないし)
じわりと視界が滲むのは気のせいだ。鼻を一度啜りサクラは声が漏れぬようにと歯を食いしばれば、涙の代わりに汗が一滴、頬を伝って流れ落ちた。
「サクラさん!」
後を追ってきたのか、男が汗を流して駆け寄ってくる。右手を掴まれサクラは思わず「放して!」と叫んでしまった。
「ご、ごめんなさい」
「いいや、いいんだ」
はっと気がつきサクラがすぐさま謝罪をすれば、男は眉を下げてにこりと笑う。
「俺なら、君を泣かせたりしないけどなぁ」
男の言葉にサクラは俯いて地面を見る。頬から流れた汗が地面を濡らす。ゆっくり瞬きをして手に持ったままの携帯電話を握り締めた。
もう、潮時なのかもしれない。
届かない思いをいつまでも持ち続けるのは、不毛なだけ。
手の中で、携帯電話がチカチカ、光る。
06. 「届かなくてもいい」なんて嘘
→ 07. 先延ばしにしてきた報い