小さな公園。ベンチに腰を下ろし我愛羅から手渡されたペットボトルの水を受け取りサクラは蓋を回す。ゴクリと飲み込んだ水は、程よく冷えて夏の暑さに耐えていた身体にはなんともありがたかった。
男一人投げ飛ばせるんだな。護身術の為に柔道を習ってたからね。
投げ飛ばされないように気をつけないとな。我愛羅くんにはしないわよ。
軽く言葉を交わしながらも、中々本題に切り出せないでいた我愛羅はなんと言えばいいのか困ったと、内心首を捻らせていた。
「ねえ、我愛羅くん」
「……なんだ」
探るようなサクラの声に、少しだけ硬く我愛羅は返答すれば少し漂う静寂。両手でペットボトルを持ったサクラは、手の中でぐるぐると回して遊ぶしかない。
サクラとて聞きたいことは沢山あるのだ。どうしてあの場所が分かったのか。あの女の人とは結局どういう関係なんだろうか、そもそも自分のことをどう思っているのか。
聞きたいけれど、勇気が持てないサクラは鞄の中から灯りが漏れるのに気がつき鞄のボタンを開け、携帯電話を取り出した。
ディスプレイを見ればいのとヒナタから大量の着信。思わず驚いたサクラは、わ! と声を上げてしまった。
「気がつかなかったわ……」
携帯を見るサクラに、我愛羅も「しまった……」と声を上げた。
「電話してなかったな」
「いの、絶対怒ってる……」
気落ちするサクラだが我愛羅に断りをし、いのに折り返し電話をかける。
ベンチから立ち上がり、コールがなる度そわそわし、前髪を親指と人差し指で挟む。サクラの様子をベンチに座ったまま見ていた我愛羅も、胸ポケットから携帯電話を取り出し、キバへとメールを打った。
「あ、もしもしー……」
電話越しのいのに恐る恐る声を掛ければ、電話の向こうから『アンタ、どれだけ心配掛ければすむのよ!』と怒鳴られ、反射的に、すみません! と謝った。
『無事ならいいんだけど……先に帰るときは連絡しなさいよねー』
「う、うん。ごめんね。ヒナタにも迷惑掛けたから大丈夫って伝えておいて」
電話越しに謝るサクラに、いのは小さく息を吐いた。
『まあー無理やり連れてきて悪かったわ。今度は女だけで飲みに行きましょう』
「うん、あ……」
サクラの携帯電話を背後から奪い、我愛羅は「もしもし」と電話相手のいのの話しかけた。
『あ、我愛羅くんも一緒なのね』
「ああ、合流した。迷惑を掛けた、すまなかった」
携帯電話を奪われ手持ち無沙汰になったサクラは、再びベンチに腰を下ろし、つま先を動かして地面にらくがきをする。なんとも知れないらくがきだ。出来上がったらくがきへの感想も無く、足を左右に動かして消してしまえば、地面の砂が靴を汚す。
「サクラは家まで送っていく」
『いいけどー、送り狼になっちゃだめよー』
からかう様ないのの口ぶりに少々慌てた我愛羅だが、二人の会話なんてサクラには聞こえない。いったいなにを話しているのか。というか、あの二人ってそんなに仲良かったっけ? など悶々と考えていたサクラの前に我愛羅が達、話が終わったのか携帯電話を差し出した。
それを受け取ろうと、サクラが手を伸ばせば我愛羅がサクラの手首を掴む。思わず体がビクリと跳ねたサクラを見て、手首を掴んでいた我愛羅の指先に少しだけ力が入った。
「……聞きたい事があるんだろう」
我愛羅の発言にゆっくりと瞼を上下させ、サクラは視線を足元へと落とす。
「我愛羅くんはずるい」
自ら言おうとせずに、言わせようとして。女の子に優しくて、期待させるようなそぶりをして。目元を細めて柔らかく笑うんだ。
「……あの、女の人って彼女?」
業界では少しばかり有名な医師だ。プライベートはともかく腕は良いし評判もいいのを知っている。患者が見たら驚くかもしれない。
「違う」
短く返す我愛羅からは、項垂れるサクラのつむじしか見えない。サクラの表情が分からない事に少し不安を持つが言葉を続けた。
「仕事の……所謂"接待"で彼女が悪乗りしただけだ。断りを入れたら『こっちこそ遊びで言っただけだから本気にしないでよね』と逆にフラれた」
まさかの言葉に、災難だったわね。とサクラは同情の視線を向ければ、「まあな」と笑い我愛羅が膝を曲げ、サクラの視線の高さに合わせる。
夜の公園。ベンチの隣の街灯が淡く光を放ち、生温い風が二人の間を柔らかく通り過ぎていく。
手首を掴まれたままのサクラが我愛羅の目を見れば柔らかく笑っているのに気がつき、少しだけ頬を染めた。
「サクラ」
サクラはもう一度思う"我愛羅くんはずるい"と。唇をきゅっと引き、掴まれていた腕の手のひらに少しだけ力を入れると、手首を掴んでいた我愛羅の手がするりと下りる。
「その……結婚を前提に付き合ってくれないか」
やっぱり我愛羅くんはずるい。再三思ったサクラが瞼を閉じれば、閉じた瞼からじわりと涙が溢れた。
何よりも欲しかった言葉をくれる。結局惚れた弱みだ、どんなことがあっても許してしまう自分がいる。
「うん」
もっとロマンチックな所で言い直してよ! とか文句のひとつでも言いたかったが結局場所なんて関係なかったのだ。言われた言葉が、ただ嬉しかった。
穏やかにか存在する満月が、静かな街並みを見守っている。カンカンと音を立て階段を上る音が寝静まったアパートに響き渡った。
ガチャンと音を立て玄関の扉を開けたサクラは振り向いて我愛羅を見上げる。
「……上がっていく?」
伺うような、サクラの視線に我愛羅は首を振り「今日は遠慮しておく」と少しだけ微笑んだ。
我愛羅の返答に少し安心したような、それでいて残念なような感覚にサクラは小さく「そう、だよね」と呟き玄関のドアノブを握り締める。
「明日……」
「ん?」
言い淀むように、頬を掻き我愛羅はもう一度「明日」と呟けば、サクラは首を傾げ我愛羅の顔を覗き込んだ。
「仕事か?」
それは一歩、踏み出した我愛羅からの誘い。少し目を大きくし、サクラが「休みよ!」と叫べば、夜のアパートに声が響き、思わず口元を押さえた。
「じゃあ、明日一緒に出かけよう」
デートだ。そう頭の中を過ぎったサクラは二つ返事で頷く。うれしそうなサクラの様子に、安心したのか我愛羅は胸を撫で下ろした。
「後で連絡する」
「わかったわ!」
それじゃあ。と立ち去る我愛羅の背中をサクラは軽く手を挙げ見送る。が、あ! と忘れていた事に気がつき、階段を下りた我愛羅を慌てて追いかけた。
「我愛羅くん! 電話番号!」
「あ」
携帯片手にサクラが追いかけ、我愛羅の背中の服を引っ張り呼び止め、我愛羅もそこで気がついた。
未だ、互いに電話番号もアドレスも知らなかった事に笑い合った。
09. 淡い絆が消えゆく前に
→ 10. 躊躇いの日々に手を振って