人の噂も七十五日とよく言ったものだ。次の季節が巡る頃には、新しい話題が出て、この噂も薄れてしまっているだろう。
ほんの少しの辛抱だ。
本日の業務報告書を記入し、サクラは筆を置き、近くに置いていた参考書をパタンと少しだけ乱暴に閉じた。
「はぁ……どうしよう」
サクラ以外誰も居ない研究準備室。項垂れるように、机に肘を付き、交差させた指の甲に額を乗せている。もう一度大きく息を吐いて、しまったな。と頭を悩ませた。
簡単に言えば、若い男の子に告白された。
それだけで何も悩む必要なんてなかった。寧ろだからなんだと、ただの自慢かと言われても仕方がない。だが、言われた場所がまずかった。
相手もあの場所で言ってしまったのは事故だと弁解していた。が、しかしだ。
ここは砂隠れ。周りを見渡しても圧倒的に砂の忍が多い。そんな中、大通りで"砂の忍が木の葉の忍に告白した"のだ。
会話を聞いていたのであろう、人々は足を止めサクラとその青年に好奇の視線を向ける。
男は砂の人間。女は木の葉の人間。
サクラは心臓が止まるかと思ってしまった。まるで数千数百と言う敵が居る中で、たった一人放り出された感覚に陥った。
もし、ここで下手な言葉を述べれば首が飛ぶ。
そう思えたサクラは曖昧に笑うことしか出来なかったのだ。
青年は明確な答えをもらえなかったこと。そして何より、つい口から出たとは言え、も大勢の前で意中の相手に想いを告げてしまった事。
青年は取り返しの付かないことをしてしまった。そう思った男は「すみません、ごめんなさい」の言葉を繰り返し、好奇の目から逃げ出したのだ。
一人残されたサクラは青年を止める間もなく、年老いた砂隠れの忍に「あんた、どうするんだ」と呼び止められてしまった。
周りの人間には関係ないだろう。そう思い視線を向けたが、サクラの瞳に映し出されたのは"まさか同盟国の相手の純粋な想いを踏みにじらないだろう"という、半ば脅しに近い視線の数々。
肝が冷えるとはこのことか。とサクラは冷静に考える。
いくら同盟を組もうが、先の第四次忍界対戦で共に手を合わせ戦おうが、過去からの恨みつらみが完全に消え去ることは無いに等しい。
それこそ若い世代は第四次忍界対戦で互いに協力し合った"仲間"だという意識は強いかもしれないが、その上の世代はどうだろうか。
同じ敵が居たからあくまで"手を結んだ"だけの事であろう。敵になれば容赦なく切り捨ててしまえる。そんな感情があるだろうと考えられるのだ。
「……きちんと、あの子とお話ししますよ」
だからこれ以上口を挟んでくれるな。そう牽制をしサクラはにこりと笑いその場から逃げ去った。
手に持っていたケーキの箱を、少しだけ力を入れて運んでしまっていた。
それから直ぐ相手の青年を捜したが、見つからなかった。聞けばS級任務に向かったらしい。もしかすると、危険が伴う任務だと理解していたからあの場で言ってしまったのかもしれない。
「卑怯よね、やっぱり」
ムスリとした表情で、頬杖をしたサクラはくるくると筆を指で回す。乾いていたと思った墨が少しばかり滴り、折角書き上げた報告書を汚してしまった。
慌てたサクラが立ち上がり、ふと視線を感じたので振り向けば作業着から忍装束に着替えていたマツリの姿があった。
「サクラさん、夜ご飯一緒にどうですか?」
それは居酒屋で飲まないかと言う誘い。普段なら二つ返事で向かうのだが、何故だか乗り気にならなくて眉を下げて断りの言葉を述べた。
「ごめんね、マツリちゃん。今日はなんだか疲れたからもう宿に戻ろうと思うの」
「えー、そうですか……残念です! また今度一緒にご飯行きましょうね」
眉を下げ残念そうな表情を見せたマツリだが、気を取り直して笑って見せた。申し訳ないな。とサクラは思い心の中でもう一度「ごめん」と謝った。
***
「やーっぱり怪しい!」
バン! と音を立てビールのジョッキを机に叩きつけたマツリは頬をほんのりと染め目の前に座るサリに「どう思う!?」と攻め寄る。
少しだけ眉を潜めたサリは肩を竦めて「やっぱり、あの噂本当じゃないの?」と箸で目の前の焼いた肉を突っついた。
「なんの噂だ?」
通る声で聞こえた質問。マツリとサリ、ユタカの前に姿を現したのは三人の上司であるテマリ。
他の客と軽く仕切っている板はあるが個室ではない店内。通路を歩いていたテマリはよく知っている顔を見たので声を掛けた。
「テマリさん、いつ帰ってきてたんですか?」
「さっきだ、我愛羅に報告に行って。これから夕飯だよ」
今から何か作るのは骨がいるしな。と答えれば三人は「確かに」と頷いて納得する。
隣に座るようにサリが促すが、テマリは「一人じゃないから遠慮するよ」と首を振って断った。
「そうそう、テマリさん。サクラさんに恋人がいるのご存知ですか?」
「サクラ? サクラって木の葉の春野サクラか?」
話を引き戻したユタカは、砂の使者として各里飛びまわっているテマリなら何か知っているかもしれないと考えた。何よりテマリは自分達よりサクラと仲がいい。
「だから、違うと思うって」
「でもさー、縺れ話見てる人多いらしいよ?」
否定をするマツリに、ではどう説明するのだとサリが問う。その様子を見ていたテマリは額を押さえ首を傾げた。
「話が見えてこないんだが……ともかく、サクラに恋人がいるなんて話は聞いた事がないよ」
「ですよね!」
テマリの返答に嬉々とするマツリだが「じゃあ、あの噂って?」とサリが疑問に持てば「もしかして、秘密の恋だったのかも!」とユタカが予想をする。
「里も身分も違う。そして出会ったのもつい最近……」
「急速に惹かれあった二人。だけど周りにバレるのを恐れ内緒にしていた……だけど男は危険を伴うS級任務へ」
「帰ってこれる保障が無い男は想いを残して、サクラさんは恋人の無事を一人健気に願って……!」
凄い想像力だなと二人の話を聞いてテマリは苦笑いをし、マツリは「絶対ない」とジョッキのビールを飲み干した。
「遅かったな」
一般客が座っている場所から少し離れた半個室。店内の一番奥はほどよく冷房が効き、静かだった。
席を外していたテマリが戻ってきたのを見てカンクロウは口の中の物をゴクリと飲み込む。カンクロウの正面では我愛羅が湯飲みを持ち、熱いお茶を飲んでいた。
「ん、ああ。マツリ達が居てな」
少し話してきたんだ。と言えば「ああ、どおりで」とカンクロウは首を縦に振る。カンクロの横にテマリが座り「そう言えば」と話題を振る。
「さっき面白い話聞いたよ」
にやりと笑うテマリにカンクロウと我愛羅は一度顔を見合わせ、テマリを見た。
「サクラに恋人がいるって話だよ。しかも相手は砂隠れの男らしい」
驚いたカンクロは瞬きをして、我愛羅は湯飲みを持っていた指先に少しばかり力が篭る。
「は? 本当かそれ」
カンクロウの疑問にテマリは頷き答える。
面倒くさい事にならなければいいけど。とカンクロウは小さく溜息を吐いた。
「なんかあったら、ナルトとサスケが煩いじゃん……」
考えるだけで胃が痛くなりそうだとカンクロウが顰めた表情を見せる。その様子を見てカンクロウの背中をバシバシと叩いて「まあ、大丈夫だよ」と笑うテマリが、我愛羅に視線を向けた。
「な、我愛羅。お前も何も聞いてないよな」
テマリの発言に、無い眉を右側だけ器用に吊り上げた我愛羅は"そういうことか"と一人納得する。ここ数日のサクラの妙に余所余所しい態度に疑問を持っていた。
なにに気を使っているのか検討も付かないが、里だの歳だの微々たるもので怖気づいているのだろう。
そもそもサクラは本当にその男のことが好きなのか? 惚れているのであろうか。
我愛羅の頭を駆け巡る疑問と、疑念。なぜか心の中に沸々と積みあがる苛々。
カツリ。と音を立て机を弾けばカンクロウが顔を上げ瞬きをする。
「我愛羅、お前なにそんなにイライラしてんだよ」
カルシウム不足か? はははと笑ったカンクロウに眼光鋭く睨みつければ、口を噤んでカンクロウは目の前のハンバーグをフォークで刺した。
「まあ……多くは言わないけど。我愛羅それが答えだよ。いい機会じゃないのか、キチンと向かい合ってみれば」
肩を竦めて目の前の水が注がれているグラスを手に取り、
一口飲む。テマリのその姿を見た我愛羅は内心舌打ちをしてしまった。
きっと我愛羅自身、気がつかない心の奥に秘めていた感情に先に気が付いたのはテマリで。結局幾つになろうと、見守られているのだと理解する。
「テマリ」
「……なんだ?」
もし、もしも。この話の相手が、ナルトやサスケ……サクラの周りで共に歩んできた人間だったならば納得出来ていただろうし祝福も出来ていたはずだ。多分だが。だが、こんなにもイライラして、心の奥がジクジクと痛むのは現状納得出来ていないからだ。
「明日、サクラに聞いてみる」
「あんまり、怖がらせるんじゃないよ」
本当は、多分最初から。
変わっている彼女に翻弄されて、いつの間にか目で追って。ナルト達を間に挟まなくても会話することが出来るのが楽しかった。
"友人"と言う枠から、とうの昔にはみ出していたというのに。
今更理解した事に、笑うしかない。
とりあえず、噂の真相を確かめねばな。
そう、心に誓った我愛羅の新緑のような瞳の奥はざわざわと騒いでいた。
03. 心揺れる噂
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