異変は直ぐに気がつくほど。
それほどいつの間にか相手のことを知っていた。

 距離感が、近い。

 ふと、そう思えたのはここ数日。おかしい、違和感がある。どこかもやもやとするサクラの気持ちなんて露知らず、目の前の人物は今までとなんら変わらないかの如く平然としている。

「が……我愛羅くん?」
「どうした」

 どうした。とはよく言ったものだ。それはこちらの台詞だと、声を大にして言いたい。

「そ、んなに近くなくても、いいんじゃないかな……」

 真昼間の風影の塔。報告に行こうかと執務室に向かって歩いている途中の廊下で我愛羅と出くわした。丁度よかったと、報告書片手に声を掛ければ、姿を見るなりずんずんと歩いてきて、距離を詰められた。
傍から見れば、壁に押し付けられているように見えても仕方がない。
 報告書を胸の辺りで持ち、少しだけ肘を伸ばせば、指が我愛羅の胸元に触れる。それほど距離が近い。

「サクラ」

 頭上から聞こえる声。
いつからだろうか、こんなにも柔らかく聞こえるようになったのは。そろりと目だけを動かし、見上げれば我愛羅が薄く笑っていた。

 思わず目を見開いたサクラに、伸びる我愛羅の指先。左の目尻をそっと一度だけ撫でればするりと離れていく。

「ゴミ」

 付いてたぞ。そう言い離れる距離と、どこか香る甘い匂い。瞬きを繰り返し、段々と頬を真っ赤に染めるサクラは人が少ない廊下で思わず大きめな声を上げた。

「あっ、ありがとう!」

 そうだ。なにを考えているんだ! とサクラは自分を叱咤する。ぐぐぐと頬を赤くしながらひとりで表情をくるくる変えるサクラ、我愛羅は気がつかれないように小さく笑う。

「な、なによー、そんなに笑うことじゃないでしょー」

 パタパタと手で頬を扇ぐサクラは、小さく笑う我愛羅を見て声を上げる。眉を吊り上げたサクラに「すまん」と笑いながら謝罪をする我愛羅に、違和感はもうひとつあったことに気がついた。


(……最近、よく笑う)

 確かに昔に比べたらそれはそれは、雰囲気が丸くなったとは言え、それでも笑うなんてことはそんなになかったはずなのに。

「我愛羅くん、最近機嫌が良さそうね。何かいいことでもあったの?」

 何となく、そうじゃないかと思い聞いたサクラに、今度は我愛羅が驚いて、瞬きをする。意外と大きな瞳を瞼で隠せば、隈で消えてしまう。

「……そうだな」
「え、なにかあったの?」

 聞いてみたがまさか本当だとは思わずに、サクラが驚きの声をあげ「なにがあったの?」と興味本位で訪ねれば、少しだけ視線を逸らした我愛羅の声が、二人以外誰も居ない廊下に響いた。

「大切なものが、わかったからだ……」

 ぽつりと呟いた我愛羅の頬が微かに染まる。それは真昼間の太陽の光ではない事をサクラは理解する。

「え! それって……」

 パチパチと瞬きをしたサクラは、顎に手を当て、閃いたように「そうか!」と声を上げた。

「ははーん、そういう事……! そうか、そうか。ついに我愛羅くんにも"里"や"家族"以外にも大切にしたい人が出来たてことね!」

 さしずめ、練習代かな。とサクラは腕を組みながらうんうん。と頷いた。
我愛羅の身の回りに女性は少ない。寧ろ姉であるテマリと弟子であるマツリぐらいだ。そういう関係性でない女性であればとんと居ない。そうなれば必然的に"丁度よい距離感"の自分が練習代にされてもおかしくないとサクラは納得する。

(どこまで踏み込めば相手がどういう反応するか伺ってるのね……だけど度が過ぎると相手の女の子に勘違いされかねないわ)

 そうなると、折角我愛羅が掴んだチャンスがなかった事になってしまう。そうなるのは少し悲しいかな。とサクラは小さく笑った。

「大丈夫よ、我愛羅くん!」
「は……?」

 キラリと輝く太陽の光をがサクラの白い歯を輝かせる。何故だかぐっと親指を立てたサクラは我愛羅に向かって言葉を続けた。

「我愛羅くんなら相手の女の子もきっと喜んでくれるし、なんだったら相談にのるわよ! だって私たち友達じゃない!」

 満面の笑みで話すサクラに、脳天を岩で叩きつけられたような衝撃を受け我愛羅はガクリと項垂れる。

「そ……そう、だな……」
「でしょ! 私たち友達だもの!」

 再度強調するかのように"友だち"と言うサクラを見て、我愛羅は少しばかり口元をへの字に曲げた。

 どうしてこうも伝わらないのか。寧ろ遠まわしにし過ぎたのであろうか。考え込む我愛羅の横で、両腕を背中で組んだサクラは鼻歌を歌いながら廊下を歩いていく。
にこやかに鼻歌を歌うサクラの背中を我愛羅はぼんやりと眺めていた。

 遠まわしにしすぎて、気が付かないならば回りくどいことはせずにストレートに向かい合うしかない。少しばかり気恥ずかしさはあるけれども。

「サクラ」
「ん?」

 未だ鼻歌を暢気歌うサクラの横に並び廊下を歩く。我愛羅がサクラを見下ろせば、サクラは少し眉を下げ困ったように笑った。

「大丈夫よ、安心して! これでも口は堅いほうだし、我愛羅くんに彼女が出来ても友だちよ」
「……はぁ」

 きっと、どんな難攻不落の城よりも攻め入るのはなんとも難しい案件だ。さて、これからどうするか。
隣で歌うサクラを見て我愛羅はもう一度小さく溜息を吐いた。


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