どうして、何故。
そんなことを思っても起こってしまったことに、取り返しが付かない事だというのは十分に理解していたはずだった。
後悔先に立たず。
これ以外になんと言えようか。
肌を刺すような冷たい空気。
空を見上げれば青空は見えなくて、目前に映るのは白く濁った雲ばかり。
白く冷たい雪はふわりと舞い降りて。
掌を差し出せば儚く溶けて消えていく。
シンシンと降り続ける雪は、ただただ冷たくて、悲しかった。
いつだって、拳を握り締め後悔を繰り返す。
どうすればよかったのだろうか。
大切なものを、大切な人をいつだって傷つける。
『我愛羅くん』
優しく、滑らかに透き通るあの声で呼んでもらえないかと思うと心がジクジクと痛み悲鳴を上げた。
「だから、どうして!」
「いい加減にしろ。最近無理な要望ばかり多いぞ」
「それを何とかするのがアナタの仕事でしょう!」
売り言葉に買い言葉。
一体どこでどう拗れてしまったのか。
執務室の外まで響く言い争い。今日もまたか。と思い偶々通りかかったテマリは執務室の中から聞こえる声に
おどおどとしている忍数名を見つけ、報告書を変わりに受け取り、今日は帰りな。と任務帰りの忍達に伝えれば逃げるように廊下を走っていく。
それを見届けたテマリは、さて、どうするかな。と溜息を一つ。
ドアノブに手を掛けようとした瞬間「馬鹿! もういいわよ!」と言い捨てる声が聞こえ勢いよく扉が開いた。
「あ…」
「やあ、サクラ」
片手を挙げ眉を下げて笑うテマリを見て、部屋から飛び出してきたサクラは一瞬顔を歪め、
すみません。と一度頭を下げてテマリの横をすり抜けていく。
声を掛ける間もなく立ち去ったサクラの背を見届けて、テマリは大きく息を吐いた。
「で、今日はどうしたんだ」
執務室の椅子に座り項垂れている、我愛羅にテマリは問う。
「……医者の人数を何とか増やせぬかと」
「おやまあ……」
「何をそんなに焦っているのか……俺にはわからん」
はあ、と一つ大きな溜息を吐き出し我愛羅は頭を抱える。
その様子を見ていたテマリは、先ほど受け取った報告書をパサリと机の上に置いた。
「よく話すことが大事なんじゃないか」
「わかってるが……」
「……わかってるけど、時間がないって?」
我愛羅が言わんとしたことを察しテマリが聞けば、我愛羅は無言で頷いた。
「今日も家に帰れん」
「まあ、忙しいのはいい事だけど……」
子供じゃないんだし、二人で何とか時間を作って話し合うんだよ! とテマリに念を押された我愛羅は、わかっている。と頷くしかなかった。
テマリが出て行き一人になった部屋。
椅子に身体を預ければ鈍く、ギシリと音を立てる。
どうして、こうも上手くいかないのだろうか。
頭を過ぎるが、自分の采配がどうもいけないのだろうと無理に納得させる。
喧嘩をしたいわけではない。
寧ろ笑っていてほしいし、優しい声で呼んでほしい。
そんな想いばかりがぐるぐると頭の中を駆け巡れば溜息を零す。
頬杖を付き机の上においている予定表をぼんやりと眺めれば、よくここまですれ違いができるな。とある意味関心する。
「……明日は任務か」
自分は明日の夕方には家に帰れるだろうが、サクラは明日から任務だ。
つくづく何かに邪魔されているとしか思えない。
もう一度だけ大きく溜息を吐いた我愛羅が外を眺めれば、憎いほど太陽が輝いていた。
少しだけ、ひやりと冷たいベットに倒れこむように身体を預けた我愛羅は欠伸をひとつ。
人の居ない家が物静かで少し寂しい。
サクラと共に寝ていたベットで一人で寝るには少々大きくて。
瞼を閉じて小さく息を吐いて我愛羅は思う。
サクラが任務から帰ってきたらキチンと話し合おう、と。
まどろむ意識の中でゆっくりと意識を手放せば夢の中で、サクラがなぜか泣いている気がしてならなかった。
ざわざわと妙な胸騒ぎ。
パチリと目を開け飛び起き我愛羅は胸元で拳を握り締める。
「なんだ……」
何かあれば直ぐ連絡が来るはず。ただの気にしすぎなのであろうか。
そう考えていた我愛羅だったが自宅外に感じた暗部の気配に眉間に皺を入れた。
「風影様」
羽織に腕を通し、いつでも出れる準備をする我愛羅の元に言い放たれた言葉。
「サクラ様が……!」
妙な胸騒ぎが的中した、と苦虫と潰したように我愛羅は表情を歪める。
「何があった」
話せ。と促す我愛羅に現れた暗部二人は頷き簡潔に言葉を述べた。
「任務中依頼者を庇い敵の術者から何らかの術を掛けられたかと」
「現在、昏睡状態に陥り病院に緊急搬送されています」
どうして、こうも上手くいかないのだろうか。
少しだけ奥歯を噛み、我愛羅は「了解した。直ぐ向かう」と返答した。
「我愛羅先生!!」
助けを求めるような弟子であるマツリの叫び声。
病院に駆けつけた我愛羅を見た瞬間顔を真っ青にし、この世の終わりだというような表情をしていた。
「何があった」
「サクラさんが、サクラさんが……!」
泣き崩れそうなマツリが指を刺した病室へ急ぎ足で向かう。
病室の扉をノックもせずに開け放てば、先に駆けつけていたテマリとカンクロウの姿が見て取れた。
病院の真っ白なベットに座っていたサクラ。
昏睡状態ではなかったのだろうか。
そんなことが頭を過ぎるが窓の外を眺めていたサクラがゆっくりと振り向いた。
きょとりとした翡翠の瞳。
僅かに違和感を覚え眉間に皺を入れる。
目の前でコトリ首を傾げサクラの柔らかい声で紡がれる言葉に心臓が止まる程の絶望を味わった。
「あなた、誰……?」
シンとする病室にサクラの不思議そうな声が響く。
視線をテマリとカンクロウに向ければ二人とも首を横に振るだけだった。
「ここ、どこ……?」
頭が割れそうで、耳鳴りが酷く五月蝿い。
サクラの口から紡がれる言葉がただ残酷で、ただ悲しい。
「私は、誰……?」
どうして、こうも上手くいかないのだろう。
どうして、守りたいものを守れないのだろう。
「サクラ……」
名前を呼んでも首を傾て瞬きをするだけで、サクラは自分の前を認識していなかった。
純粋に見上げてくる瞳が、ただ残酷で綺麗だった。
***
「記憶喪失だな」
ふむ、と声を出し目の前に大人しく座るサクラを見てサクラの師である綱手は肩を竦めた。
「そもそも、何故お前が傍にいながらこんなことになった!」
「正確に言えば事が起きた際に傍に居なかった。サクラは任務中だったんだ」
睨み合う綱手と我愛羅に挟まれ、椅子に座ったままのサクラはおどおどと二人を見上げるしか出来なかった。
火の国、木の葉隠の里。
秘密裏に訪れた我愛羅に呼び出された綱手は、対面したサクラの様子がおかしい事に気がつきその場で簡単に診察を行った。
「聞けば任務中に何らかの術を掛けられたらしいな。それの後遺症か」
不安そうに見上げるサクラの瞳に綱手は大きく溜息を吐く。
「治るのか……」
呟いた我愛羅の言葉にサクラは視線を向ける。
我愛羅の少し沈んだ表情にサクラは視線を彷徨わせ、自分の掌をぼんやりと眺めるしかなかった。
「……こればっかりはどうしようも出来ん。突然思い出すこともあれば一生思い出さぬこともある」
残酷に落とされる言葉。
瞼を閉じ、ぼんやりと眺めていた掌をぎゅっと握り締めたサクラが今にも崩れ落ちそうだった。
「わたしは、どうすれば……」
椅子に座ったサクラの前に跪き、サクラが見つめていた手を我愛羅は優しく覆う。
「大丈夫だ、何とかしよう。一緒ならば乗り越えられるはずだ。」
我愛羅の言葉に不安そうに瞳を揺らしながら、サクラは小さな声でうん。と頷いた。
「ありがとう、我愛羅くん」
痛い。痛い。心が痛い。
同じサクラなのに、同じ声で名前を呼ばれたはずなのに、同じ瞳で見られたはずなのに。
なのに、心が痛い。
見知らぬ人を呼ぶような声色、見知らぬ人物を見るような瞳。
あの時、サクラと交わした言葉はなんだったろうか。
サクラが怒った顔しか思い出せない。
笑った顔をもう、ずっと見ていない。
謝らせてもくれないサクラが、歯痒くて、悲しい。
「大丈夫……?」
我愛羅に問うサクラの言葉に視線を落として言葉無く頷く。
木の葉の里を覆いつくす真っ白い雪。
シンシンと降り続ける雪たちは止みそうに無くて。
その冷たさが心を更に傷つける。
いつだって当たり前のように傍に居た彼女は今は笑ってもくれやしない。
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